制作者の火消し魂~今石洋之/プロメア | ライブハウスの最後尾より

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どうも( ^_^)/

 

 

映画を観た感想としてはあり得ないのですが、喉が渇いた者です。

 

 

プロメア

 

 

 

殺人を伴わなくても死刑になる可能性のある犯罪が日本にはあります。現住建造物等放火罪。どこかで聴き齧っただけの話なので今軽く調べましたが、どうやら理論的には他者を死に至らしめなくとも死刑判決が下せるようです。

 

 

故に、放火というのは重罪なわけです。この作品に登場するデミヒューマン、ミュータントのバーニッシュを率いるボス・リオは「できる限り人を殺さない」主義を持ってはいても、どうしようもなく大罪人となってしまいます。

 

 

とはいえ、リオも、彼率いるマッドバーニッシュも確信犯。燃やさなければ生きていけない業を背負った新生人類の哀しみがあります。

 

 

そんな、舞台が『X-MEN』なら深刻な物語になりそうなところに、歌舞伎の“セリ”の如くどろどろと現れ見得を切る主人公ガロが、「そういえばこの映画は今石洋之が監督していたな」と思い出させてくれます。

 

 

「お前は火事を消しに来たのか、火元を壊しに来たのか」と突っ込みたくなるガロの活躍と、彼の所属するバーニングレスキューの活躍で、リオたちは捕まります。

 

 

ここまで10分。いきなりぶっ壊れる主人公機。いきなり倒されて捕まる敵組織のボス。相変わらず、ここのスタッフはタイム感がおかしいですし、物語の谷と山が絶叫マシンのフリーフォール並みの速度でやってくるし、山の部分ではとりあえずメインキャストの誰かが何かを叫んでいます。

 

 

堺雅人さんの喉が少なくとも四回は裏返ったのを聞きました。早乙女太一さんがあんなに叫べる人だとは思いませんでした。松山ケンイチさんは、お疲れさまでしたとしか言いようがない、キャリア史上に残る名演と絶叫でした。

 

 

とはいえ、単純にめちゃくちゃやっているだけではここまでの作品にはならない。物語が暑苦しいので、敢えて画面には赤を使わず、ややビビットでありながらクールな色調にまとめられています。背景にも動きの無い無機質さを前面に出して、鑑賞者の目線がとっ散らからないように配慮されています。

 

 

さらに、物語全体でも、締めるべきところは締めるという意思が徹底されています。

 

 

バーニッシュを取り締まる警察隊が、ピザ屋で働いていただけの男を拘束する。それを匿っていたということで、店の主人も逮捕する。

 

 

当然憤るガロですが、隊長であるヴァルカンから「罪があるかどうかは裁判で決まる」と言われ、仲間にも諌められ、矛を収める。と、思ったらバイクに乗ってどこかへ爆走。殴り込みか、と思われたけど、そうではなかった。頭を冷やすために、自分だけが知っている山奥の氷の張った湖に向かっただけだった。

 

 

かように、ガロにはちゃんと社会を駆動させる仕組みを理解できる冷静さがある。ただ自分の感情に従ってめちゃくちゃに暴れているわけでは無いことが分かります。自分が間違っていることが分かれば、きちんと訂正して謝罪するし、ある人間に呼ばれ方を「気に食わない」と言われたら、その瞬間から呼び方を変えてあげる奥ゆかしさがあります。勝手に名付けるのはやめませんが。

 

 

そういった部分で、きちんと締めるからこそ、どこまでもこの映画は燃え上がり、燃え広がり、燃え尽きることができるのです。

 

 

ただの躁状態が続くアニメーションではありません。制作者が燃えてはいけない。グッと重心を低くして、地に足を付けて、観客の心を燃やしていく。そういう作品です。

 

 

最終的に宇宙規模に膨れ上がって声優の叫び声しか聞こえなくなるのは、それがないと始まらないという類の話ですので。