どうも( ^_^)/
なんだかんだで、ライブのお客さんが0ということは今のところない者です。
地方に行ったときなんかは厳しいかもしれませんが、頑張ります。
ナチスの衣裳(軍服)は、デザインとして洗練されていて、そのカッコ良さゆえに人間を扇動し、悪事へと向かわせる求心力があるから、今になってもそれを着るという行為にナーバスになってしまう人たちがいる、ということだそうです。
特に、論旨に対して反対するところはありません。一つの考え方として、なるほど、と思う次第です。
一つだけ、音楽人である俺は、そこに『動員の魅力』というものを付け加えたいと思いました。
一昨日のライブの打ち上げで、名古屋ガイシホールで行われたBUMP OF CHICKENのライブを観て、「自分も同じような動員を実現させたい」と、夢を語ったミュージシャンの方がいました。
バンプはかっこいいバンドですが、ファッションとして洗練されているかというと、最近は相当気を遣っていますが、どちらかというと、普段着でライブをしている印象が強いです。
しかし、そんな千葉の佐倉市から出てきたどこにでもいそうな四人組が、一万人のアリーナを埋め尽くし(今年はついにナゴヤドームまで埋め切ってしまった)、バンド初のオリジナル日本語楽曲であるところの“ガラスのブルース”を大合唱させている光景は、掛け値なしにカッコいいのです。
かように、動員は、人を狂わします。
ナチス党が、そもそもドイツ国民の圧倒的信任を得て第二次大戦を起こしたことはよく知られています。そこには、無論、ヒットラー以下幹部たちが行った周到で洗練されたメディア戦略があったことは確かでしょう。
でも、それ以外に必ず、人間が一つの意志のもとに結集する快楽というものも、あったはずです。
人間は、というか生き物は、ある一定の群れを超えると、バラバラになるものだと思います。その道理を蹴り飛ばして、同じ旗の下に集う一体感がもたらす高揚感を、ナチス、および現在あまたあるカルト宗教やテロ組織は作り上げているのではないかと、そう考えました。
実は、俺ってどんなライブでも自分のタイミングで立ったり座ったりしちゃうんです。あんまり周りのお客さんと合わせて何かをするということがありません。また、優秀なバンドやミュージシャンは、そのオーディエンスの好き勝手な振る舞いを上手に許容してくれます。
手拍子は煽らず、大きな声を出せとも強要せず、自然な形で、数万人の人間を一曲の音楽に集めてしまいます。
ある意味、ナチスよりヤバい連中かもしれません。彼らのほとんどが政治家になろうなんて思っていなくて本当に良かったです。