割と変な歌声の方が合っていると言われた者です。
今日、AC/DCの“Back In Black”を歌っていたんですね。
いえ、ブライアン・ジョンソンが変な声というわけではありません(いや、やっぱり変でもあるか)。あの特徴的な声質をなんとか出してやろうと試行錯誤した結果、とても変な裏声のような何かが出てきて、まぁ何しろhihiDまで出てくるのだからそうなります。
それが「結構いいんじゃないか」と言って頂けたので、どうやら聴覚障害らしいジョンソンに代わって俺がということに―――やめよう。
もう一つ、変な声というか「ヤクやり過ぎた人間がぶっ壊れたテンションのまま歌ったみたいな振り切りがある」と言ってもらえたのが、Rage Against the Machineの“Killing In the Name”を歌ったときです。
俺は一体どんなボーカルになろうとしているんでしょうね。
ハードロック/ヘビーメタルに社会派なラップを乗せるバンドの曲は、『マトリックス』の主題歌で知りました。
彼らの歌は反戦、差別主義や非人間的な支配に対する闘争、特にアメリカ社会に対する強烈な怒りが基軸になり、ラップらしく直截的で痛烈な言葉で聴く者の心を刺してきます。
マシンにより“電池”と化した人類の、いってみれば“現体制への反抗”を描いた『マトリックス』第一作のテーマにはぴったりのバンドといえます。
しかし、俺はここでふと立ち止まり考えてみてしまうのです。
脳をプラグで繋がれ、思考実験ではない意味で『水槽の脳』となった人間の生きる“現実”とはどこなのかと。
見る、聴く、嗅ぐ、触る、味わう、すべての感覚が“ある”のであれば、そこはたとえ仮想現実でも現実と認識するしかないのではないか。そこで暮らす人をわざわざ人間畑から引っこ抜いて、見敵必殺なサバイバル世界に出してきてしまうのはいかがなものか。さながら真冬の休日に暖かなこたつから引き剥がすほどの暴挙ではないか。
モーフィアスたちはこう語ります。「マトリックスは偽物だ」と。その言葉は二重の意味を帯びています。
一つは、言葉の通りマトリックスはVR、バーチャルリアリティーだということ。もう一つは、マトリックスが決して理想郷ではないということです。
ただ他者から与えられたものでも、それが満足なものであれば何の問題もないと思います。ですが、マトリックスは続編で開発者本人(人じゃないけど)が語るように完璧ではない。
そんなものには乗れないなという。僅かなエラーなど許容しようという気は、自らの手足で理想郷を創ろうと闘争を続ける者たちには存在しません。故にサイファーは粛清されたわけです。
そうして、人々は最終的に目覚めさせられます。はた迷惑と思うやつもいたでしょう。でも、今こうしている“現実”がマトリックスだったら、俺は早急にプラグを抜いて欲しいです。
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