どうやらEDMのムーブメントには完全に乗り遅れた者です。
分厚いシンセサウンドの動物的な動きにはウキウキするところもあるけれど、なにか自分の中でしっくりきていません。
“ライブで踊る”という文化は良いものだと思いつつ、それは違うだろうと感じることもあります。
たとえば、演奏者に背を向けたサークルが作られていたり、歌詞がただメロディを吐き出す文字の羅列と化していたり。
やっぱり俺は“歌”とそれが及ぼす感情が好きな人間なので、そこをしっかりやってくれないと聴けないようです。
≪涙は君に羽を貰って/キラキラ喜んで飛んだ踊った≫
この楽しくも悲しいフレーズが、俺のちょっとした不満を解消してくれました。そう、ちゃんと悲しくないと歌は平板なものになってしまうんです。
この世が楽しいことばかりで、艱難辛苦の一つもない幸福な場所であれば、享楽的なだけの歌詞で十分でしょう。しかし、残念ながら、我々の生きる世界は十分な楽しみを提供してくれると同時に十二分以上にクソッタレで碌でもないものです。
だからこそ、娯楽としての音楽(その他、詩や小説や絵画や演劇や映画)が発展してきたのだと思います。
その証拠というか、根拠として、歌唱の源流の一つであるゴスペルは、奴隷制に苦しむ黒人たちの不撓不屈の魂から生まれました。歌は祝祭であると同時に、この世を生きるすべての人たちへの慰安なのです。

明日はナゴヤドームで疲弊した心を存分に震わせてきます。BUMP OF CHICKENはそんな特別なバンドです。
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