最後にマークを救ったのは~オデッセイ/The Martian | ライブハウスの最後尾より

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どうも( ^_^)/


ポテチはうすしお派な者です。


多分マークは一生分のじゃがいもを食べたはずですが、それでもポテチは美味かったはずだと思っています。


オデッセイ/The Martian





不可抗力で火星に一人取り残された宇宙飛行士マーク・ワトニーがNASAからの救出を信じ一年半もの間水も酸素もない惑星で極限のサバイバルに挑む。


といったようなあらすじをそのまま期待すると、やや食い違いが出てくるほど軽やかな映画です。


誰も読まない滞在日誌内でも減らず口をかます愉快な男は自ら腹に空いた穴を縫合する痛いミッションをこなした後すぐに気持ちを切り替え、植物学者としての知識を総動員して火星居住区内でじゃがいもを育て、収穫し、ローバー(火星表面を走る探査車)に乗り、1996年に打ち上げられた火星探査機マーズ・パスファインダーを見つけ出し地球との通信を成功させます。


この胸のすくテンポで繰り広げられる物語の展開は、多くのSF小説にも見られるものです。


俺の好きな『夏への扉』や『幼年期の終わり』『星を継ぐもの』シリーズといった主人公たちに共通する、“進歩”という言葉に対する恐れの無さ。彼らは一様に、未来はより善いものになっていくということを疑わなくて、多少の苦労や苦悩はありつつさっぱりと状況を受け入れてしまうところが、読者に変なストレスを与えない。


先述したように、マークは一時途方に暮れつつも前進を諦めません。何が起こるか予想だにできない宇宙で作業をする人間の精神力なのか、むしろ活き活きとしているようにすら見えます。


彼らを取り巻く―――といっても10何光年ほど離れてはいますが―――地球の仲間たちも誰一人悪人が居ません。


方法は違えど、全員がマークの救出に全力を尽くす。特に中盤、中国国家航天局が下す決断には胸が震えます。


共に無限に広がる宇宙を目指す人間として国境も超えたミッションが繰り広げられ、綿密な科学的・植物学的考察と計算に満ちた作品ですが、それでも、若干の無理は生じているようで、実現不可能なことがどうしてもあるそうです。


それでもマーク・ワトニーは還ってくる。何故か?それは、彼の帰還を『The Martian』の作者と読者、監督と観客が望んだからです。


SFが連綿と受け継いできた一つの尊い精神。「科学技術とともに果ての無い未来へと歩む我々は、間違いなく今より善い場所へと向かっているはずだ」という底抜けに無邪気で、夢と希望に満ち溢れた精神の正統後継作品がバッドエンドで良いはずがない。


人がいつまでも今ここにないものを求めて飛び続けるためには、あれ以外のエンドはあり得なかった。最後にマークを救ったのは、人と科学の陽性を信じる人が紡ぎ出した“物語”の力です。