「死にたい」というよりは、「きっともう幸せにはなれないのだろうな」と思っている人へ。 | ライブハウスの最後尾より

ライブハウスの最後尾より

邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

目覚めると、“死”が随分と近くにあった。





どうも( ^_^)/


朝からプールに行って泳ぎに泳いで筋肉痛な者です。


さて、いきなり妙に詩的な一行目です。


あまり情緒的で感傷的な文章にしないために ( ^_^)/←この気の抜けた顔文字から始めるようにしている当ブログですが、今回は敢えて、今朝感じたことをそのまま文字に落とし込みました。


最近、やりたいことを突き詰めてやるという決心をした(『自分にかけた“呪い”を超えるための、遅すぎるかもしれない決意表明』)のはいいものの、それには結構金がかかります。


払えない額ではない。俺は実は結構真面目に働いていた時期があります。ただ、かなりキツイことは確かで、そこまでの犠牲を払って得られるリターンは全くの未知数。


決断するまでの時間はあまり残っていない、という状況のある朝、この文章一行目の感覚に陥りました。


砂時計の砂が落ち切る寸前の様に、自分の寿命が尽きていくような気がしました。


ちょっと金が無くなるくらいのことで、と思う人もいるかもしれませんが、人間関係が希薄且つ関係維持能力が皆無の俺にとっては重要です。


お金というのは『できるだけ誰の助けも借りずに生きるためのツール』なので、俺のような手の人間は自然、臆病な吝嗇家(金にケチ)になり、それが減ることは、ほぼイコール自らの寿命を削る行為になります。


あと、問題は俺という人間が生まれてこの方ずっと“自殺”という行為に向き合わざるを得なかったことにあります。


以前から書いているように、3歳から15歳まで正体不明の自殺勧告状を心の中で受け取り続け、さらに5年後まで自壊した自意識と自尊心で自分を呪い続けて生きてきてしまって、そこからは何とか脱せたが根本的な問題は何も解決されていないという状態が続いています。


俺にとって、死はいつ何時でも無作法にやってくる厄介な隣人なのです。


何か悪い想像をすると、すぐ死ぬことを考えてしまう。これはもう思考の癖なのだなと思います。もう少しその意識を掘り下げると、俺はあまりこの世に生きていたくはないのだなとも。


俺は、このブログカテゴリで「もう自殺願望は無くなりました。」と何度も書きながら、実は心のどこかで死にたがっています。


何故か。それは『恐らく未来永劫自分は今より幸せにはなれないのだろうな』ということが意識の底にあるからです。


今も幸せといえば幸せです。こういうのは考え方次第ですから、日々創作と音楽とアニメと映画とスポーツと……とにかく色々楽しんでいられるものは目の前に転がっているわけです。


ただ、今以上は望めないだろうなとも思っている。今は状況が“孤独”に振られ過ぎています。

本当のところ、音楽はバンドを組んでやりたいし、趣味でも、もうちょっとだけ外に出て、人と交流できたらなと思っています。


そして、俺は自分がそういう風にはできないと認識している。孤独な世界しか知らないから、孤独にしか生きられないということが分かってしまっている。


「それなら、もういいかな」と、ふとした時に弾みで死んでしまうかもしれません。それはそれで別に良いのですが、わざわざ自分から死にに行くようなことはしたくないです。


現状にはとりあえず満足とはいかないまでも「不満はあれど、良しとしよう」と思えるのなら、そして、不満の解消が努力しても無理っぽいということであれば、割り切って現状維持を選びます。


ということで今は、『決めるだけで辛くなるのなら、もう少し易しい決断に変更していった方が良い』という気持ちです。


全財産の半分以上を吐き出して、それで何も得られず終わったら、悪戯に死期を早めただけになる。そんなのは御免です。


俺は幸せに死にたい、というより、まだ最後を迎える喜びについて考えたくはない。



親愛なる自殺志願者へ


『生きるか、死ぬか』の決断を急ぎ過ぎても、良いことは無い。最善の選択が“判断保留”であることは、恐らく、この世界にたくさんある。


なにか、一つでも現状を肯定できるものを見つけたら、それを“幸せ”と呼んでみよう。そして、それを何があっても離さず、大事にしてみよう。


一人ぼっちで生きることしか知らなくても、死にたいという思いが消えなくても、人は幸せになれるのだと、まずは俺が証明しよう。


そんなものは偽物の幸せかもしれないし、そんなことを自分に言い聞かせ、他人に押し付ける人間は嘘つきかも知れない。


しかし、『孤独だけど、本当は生きていたくはないけど幸せだ』なんて嘘を信じることで少しでも楽になる人間がいるのなら、俺は嘘つきでいよう。どうか騙されて欲しい。