この記事は、
自分を責めるために書いているわけではありません。
自分の心の癖や心の仕組みを理解するために整理したくて書いています。






リブログしたナリ心理学ブログに



おい!ペットショップで犬買った人!自分の本音を認めろ!



と書いてあった。






私は1年半前にペットショップで犬を買ったんだけど、



自分の本音を認めるってどういうことなのか、ブログを読んだ時はわからなかったのと、



ブログを最後まで読んで
ふれたくない
考えたくないと思った。





けど、
なぜ私は知っていてペットショップで買ったのかは考えてみたかった。





あの時、

私はゴールデンレトリバーを飼うと決めてペットショップに見に行った。



その時、

殺処分される犬や保護犬の存在は全く頭になかった。



なぜ私は殺処分される犬や保護犬の存在を知っていたのに、全く頭になくペットショップで買ったんだろう?と考えてみると、



自分が満足することしか頭になかったから。
私には関係ないと無関心だったから。
見たくない、知りたくない、関わりたくない、罪悪感を感じたくないと、無自覚にその存在をないものにしたから。



今回考えるまで、

そんな理由があってそれを選んだなんて思っていないから、自分がズルくて残酷なことを知ったのも嫌だったし、認めたくなかった。



だから、

ナリくんのブログにコメントを書いたあと、



「だけど…」って自分を正当化したくて
頭の中では、私は悪い人じゃないって証明ばかりしていた。





だけど、
罪悪感を認める、そうブログには書いてあるから、今、見て、知って、関わろうとすると私はどうなるんだろう。



それを考えてみたら、



今、私は殺処分される犬や保護犬に何も出来ない。
調べて知ることは出来ても大きく行動を変えることは出来ない。



今行動を変えたとしても、その理由は良いことして私は悪くないと証明したいからなんじゃない?


って、また自分のズルさや残酷さに気づいて嫌な気分になった。



私は「いい人でいたい」「間違いを正したい」が強いんだと思った。



私はいい人だ、私は間違っていない、これを証明するために47年生きてきたんだなってことが今回よくわかった。



いい人でなかった時や、間違う時はある、だけどそれを証明しなおしていた。(と思っていた)


ほら、私いいい人でしょ、ちゃんと出来るでしょって。





そうやって、



いい人でいること
ちゃんと出来る自分なら
ここに存在していていい自分だと思えたからだと思う。




だけど今回は、



私は残酷な一面がある。
これはないことに出来ない。
かえることも出来ない。
私が持っている一面。



それを私が自分で自覚してしまったから
ものすごくしんどかったんだと思う。





私は
自分の欲のため、自分を守るために、誰かの痛みや現実から目をそらすことが出来る。



それを見ないようにする癖
正当化しようとする癖
悪い部分を良いことをして消そうとする癖がある。



それをここ数日間で体感するうちに

私はそんな人間じゃない!ではなく

私はそんな一面もある人間だと

自分を認められるようになってきたことと



私は安心したくて仕方ないんだなってことと、

正しくあろうと必死だった自分のこともよくわかった。