おい!ペットショップで犬買った人
自分の本音を認めろ!

この上矢印ナリ心理学ブログを読んで






自分の心の癖を整理した記事

下矢印




今日は、
この記事上矢印を書いてから
その後、私に起きたことを書いてみます。






いい人であろう
正しくあろうとして
ごまかして生きていたから
私はしんどかったんだな。


これがわかって、
楽になったと思っていたのに


その後、
自分が何かごまかしているんじゃないかと気になるようになって
間違っていないか
合っているかと確認したくなる。


確認確認確認で疲れていった。




これって、
結局同じことやってるんじゃないの?


またしんどい。
どういうこと?


そう思ったから、
私の心の癖が
どんな風に反応しているのか整理してみた。




私は、
不安がある
安心したい
そのために自己防衛する。


「ちゃんとした私」
「いい私」を証明する。


それによって
「ここにいていいか?」を確認する。


承認欲求。
これは生存戦略。


私はまだ心が不安定だから
(何を基準に安心したらいいかわからない感じだから)
承認が脅威になりやすい。




承認は、
「安心」になる場合と
「脅威」になる場合があって、


私は今、
承認が脅威になりやすくなっている。




「脅威(きょうい)」とは


自分の安全・価値・立場が脅かされると感じること。

実際に危険かどうかより、

そう感じるかどうか。

例:

ライバルの存在

否定される可能性

比べられる状況

全部「脅威」になりうる。






私は、
「いい人でいる」
「正しい私でいる」 
これが自分の存在を守る条件になっているから
その条件を満たしているかのチェックをして


それが、
ここにいていいか
生きていていいかの確認になっている。





なぜ「承認」が脅威になりやすいのか?
→自分の存在が、
条件付きでしか感じられていないから。





私の場合は、
承認はもらえると
「大丈夫」


もらえないと
「私はダメかもしれない」となって


安心を増やすものじゃなくて
存在をはかるものにしている。
だから承認を欲しがる。




承認が「安心」になるとき

認められた → うれしい、あったかい

認められなくても → まあいっか、私は私

承認はプラスαで、

「なくても私はここにいていい」がベースにある。



承認が「脅威」になるとき

認められた → セーフ(とりあえず生き延びた)

認められない → ヤバい、否定されたかも、価値ないかも

承認が

安心を増やすものじゃなくて、存在を測るものになってる状態。








今の私は、


いい人
正しい人でいなければ存在してはいけない私から


そうじゃなくても存在していい私を受け入れられるようになってきた時期で


だから今も、
理解して、整理して、書くことで安心しようとして


安心したい癖が、
こうやって別の形で出ているんだけど


これから先も、



確認する癖
証明する癖がある
それが私だから
それをなくそうとするんじゃなくて


私は今、
安心したいんだな。
怖いんだな。
不安なんだな。
認められたいんだな。


そうなんだな。
それを認めて


そうやって
自分を守ろうとしているなって。
良いも悪いもなくただそれだけ。








気づいた
わかった
認めた


そのあとには、


すごいことも起こらないし
すごい自分にもならないし


また次に認めていくだけ。
慣れていくだけ。





おしまい飛び出すハート







ナリ心理学認定講座の修了式の写真

心のことと向き合える環境にいれて

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