自分の気持ちを整理しながら書いた記録です。
長いです。
私は子どもの頃からテストが苦手だった。
嫌だった。
5月に認定講座の中級テストを受けて
先月その結果が届いてから、
「なんで私は今回テストが嫌だったんやろ?」と考えてみた。
最初は、
「何回も落ちたら頭悪いと思われるから」なのかな?と思った。
でも、それだけじゃない気がした。
テスト前の私は、
また落ちるの嫌。
3回も落ちたら恥ずかしい。
できない人だと思われたら嫌。
できない私を見るのも嫌。
受けなかったら落ちない。
だから受けない方が楽。
そんなことばかり考えてた。
それでも私は、
「5回までは挑戦する」そう決めていたから、
怖かったけど3回目を受けた。
考えていたら、
中学生の頃の記憶を思い出した。
理科の先生が小テストを返す時間。
「点数悪くて見られたくなかったら勉強しなさい」
そう笑いながら言って、机の上にばらまくように返していった。
私はあの時間がめちゃくちゃ嫌だった。
思い出した瞬間に出てきた感情は、
腹が立つ。
惨め。
嫌い。
だった。
私はあの先生が嫌だった。
子どもを笑いものにして、恥をかかせるようなやり方が嫌だった。
子どもの気持ちを考えないような返し方をする人だった。
私はあの人が嫌いだった。
でも、先生だけじゃなかった…。
あのとき学校で傷ついても、その気持ちを安心して話せる場所が私にはなかった。
嫌だった気持ちを家で話せるような親子関係じゃなかったんだよな。
私はお母さんに弱いところを見せられなかった。
嫌だったことを嫌だったと言ったり
相談したりできなかった。
悲しかった。
悔しかった。
そんなことを言えなかった。
何かあれば「一緒に祈ろう」
お母さんはそんな人だったから。
でも、私が欲しかったのは祈ることじゃなくて
「大丈夫?どうした?」 って、
私の状態を先に気にかけてほしかった。
私を優先してほしかった。
でも、お母さんには無理だったんだよな。
そう思うようになったのは、母親理解をしてきたからだと思う。
それまでの私は、
「なんで私ばっかり我慢しなアカンの?」
「なんでいっつも私が助けなアカンの?」
「私のことも考えて!」
って思ってた。
そんな感じのことを言ったこともある。
でも、お母さんには届かなかった。
変わらなかった。
気軽に「お母さーん」って頼れたり、
気持ちを出したら、まず受け止めてもらえたり、私に関心を向けてもらえたり。
そんな親子関係を、私は経験してこなかった。
だから私は、
「私はわがまま」
「我慢しないとダメ」
「頑張らないとダメ」
そう思いやすいんじゃないかと思った。
じゃあ、テストを受けるのが怖かったのは?
最初は、「頭悪いと思われたくないからかな?」そう思っていたけど、
でも、その奥には、
できない人と思われたら、ここにいられなくなるような
誰にも助けてもらえなくなるような
おいていかれてしまうような
そんな感覚があったのかなと思う。
だから私は、テストが怖かったのかもしれないな。
落ちることが怖かったというより、
できない自分を見られることが怖かったのかもしれない。
1回目、2回目の中級テストに落ちた時、しんどかったのも、
不合格だったからだけじゃなくて、
本当はわかってほしかった時に、わかってもらえなかったあの頃の気持ちも一緒に出てきてたのかもしれない。
今回気づいたのは、
私はずっと、
悲しい。
悔しい。
腹が立つ。
そんな感情を感じる前に、 「私がダメだから」に変えていた。
感情より先に、自分を責めていた。
だから苦しかったんだと思う。
少し前に大阪駅で迷った時も、
最初は「悔しい」じゃなくて、無自覚に自分を責めていた。
このときも同じパターンだった。
私は、
挑戦したことより、できなかった結果だけを見て、
「できない自分を見せたらダメ」 そう思って生きてきたんだと思う。
だから、 頑張る私でいようとしたり
できる私でいようとした。
認めてもらえるのは、 頑張った私だけだと思ってた。
でも今回、
私が本当に欲しかったのは、
「頑張ったね」だけじゃなかったんだと思った。
頑張っていない私でも、
テストで悪い点を取った私でも、
何もできない私でも、
失敗した私でも、
迷った私でも、
どんな私も見捨てないでほしい。
そばにいてほしい。
大丈夫って安心させてほしい。
私は、それをお母さんからもらいたかったんだと思った。
あの頃はそれがほしいって、自分でもわかってなかったけど、
あの頃の私が一番欲しかったものだったんだと思った。
認めてくれる人はいても、受け取りにくかった。
私が本当に欲しかったのは、お母さんからの言葉だったって、まだ自分で認められてなかったからだと思う。
拗ねて駄々こねてたんやと思う。
私は、お母さんから認めてもらったと感じられる経験がほとんどない。
亡くなる前に一度だけ、
「みほは疲れたと言わず、すごい」
そう言われた。
それが嬉しくて忘れられなかった。
だから私は、
「頑張る私は見てもらえる」=「頑張らない私は見てもらえない」そう思うようになったのかもしれない。
今の私は、
こんなこと言って大丈夫かな
こんな姿見せて大丈夫かな
そう思うとき、怖いけど
助けて欲しいときは頼ってみたり
私はこうしたい、こう思うと言ってみたり
ズルいとこ
カッコ悪いとこ
言ったら印象悪くなるんじゃない?って思うとこも言ってみたりしてる。
何もしなかったら楽なのにって思うときもあるし
安心できたり、不安になったり、怖くなったりもするし、
無自覚に嫌われないように、考えるより先に、その場に合う自分になろうとして反射的に反応してたりもする。
そんなときある。
でも前みたいに、
「不安や怖さを感じるのしんどい!」
「またそんな反応して、こんな私ダメや!」
って、苦しくなるより、
「あ、またこのパターンやな」とか
「またやってるな」
って思えたり
「大丈夫?どうした?」って自分に聞けるようになって
「今そう思ってるんやな」
ってわかるようになってきた。
だから、ちょっと落ち着ける。
それが嬉しい。
昨日はナリ心理学の仲間とランチ![]()
食べて、喋って、笑って、2人で6時間近く
それでも喋り足りなかった![]()


