Samba de CabocloというYoutube動画のアカウントで、カンドンブレ風のライブなどを投稿してたのを何気なく見始めたら、見入ってしまいましいた。これは、ふっとい声の女性Voで、サンバライブを流してたので、聞き入ったり。声が大きくて、ドスがきいてるんで恰好いいけど、歌い方がちとなげやりなのが、何とも言えません(^^)/。テヘイロの団体名かと思ったら、サンバなどのバンド名みたいです。

 

 Embala Euとか、Marinheiro SoなどのMPB歌手にも歌われる有名曲中心だけど、なかなか楽しい。

Samba de Caboclo Ao vivo - Bloco Samba de Roda - Parte 3

 

 

 この動画の冒頭10分の、弦楽器無しの、太鼓のみの演奏が、超恰好いいーー!!。歌も、アフロ色濃くて、恰好ええー。鳥肌もので。しかも、後ろで歌ってる人達の歌声が、また恰好いいじゃないですか。10分くらいまでは、まさにアフロ宗教的なスタイルの、打楽器のみの歌と演奏で、めっちゃ恰好いいー。こういうの好きだから、ずっと聞いていられます。というか、上手い~。冒頭の演奏は、というか、主な太鼓が、アタバキ?のみで、Samaba de Rodaで、アタバキのみで伴奏は、あまり見ない気が。そこら辺に、アフリカ文化を尊重するこのグループの姿勢がこめられてるのでしょう。バンドの真ん中に、カンドンブレの祭壇風の物が飾ってあるし。別の動画か、Timbaladaの歌もカバーしてた。あと、ポルテーラの名前がよく歌詞に出て来るので、ブログの最後に、ポルテーラの元Presidenteが参加してると書いたように、メンバーも観客もポルテーラと結びつきが強いバンドかもですね。とは言え、Unidos da Tijucaのクアドラでライブしたり、Mocidade所属のメンバーが居たりするので、色んなエスコーラの選抜メンバー的なバンドみたいです。

 

Samba de Caboclo Ao vivo - Bloco Cultivando Axé - Parte 1

 

こちらは、同じアカウントの、テヘイロっぽい、カンドンブレっぽい演奏と歌の演奏で、アフリカ色濃くて恰好いい。

 

 

Samba de Caboclo - Deu meia noite

 

この動画を見てたら、上の動画が流れたんでした。Preto Velhoって、確か、Mas Que Nadaの歌詞に出てきますよね。このおじいさんみたいな、杖ついた人が、Preto Velhoなのかしら。

Samba de Caboclo - Preto Velho

 

歌と演奏の、アフリカ色の濃さが、めっちゃ恰好いい!。

Samba de Caboclo - Mavambo

 

 

こちらも。

この動画は、2年くらい前のイベント?でのライブで、今よりも、さらにアフロ系の音楽中心で、ここで、Chegada dos Caboclosという言葉で検索したら、どうやら、彼らのやってる音楽等の宗派は、Umbandaみたいです。メンバーの一人がアタバキを弾いてた動画のテヘイロが、カンドンブレにしては、整然とした雰囲気だったので、違いを感じたんでした。Umbandaの日本語wikiを参考にしたんですが(^^;、そう、カンドンブレには、Cabocloって出てこないんですよね。あと、↓で出て来る、インディアンみたいな恰好した人も、こんな恰好、カンドンブレで見た事ないなーと思ったら。彼らのイベントで飾ってある人形も、カボクロみたいです。なるほど…。勉強になりました。あと、他に、あまりOrixaの名前がでてこないのに、妙にExuの名前ばかり出てくるんで、何でやろ?と思ったんでした。Umbandaがリオ辺りの宗教である事だけは知ってたけど、20世紀初めに出来た宗教だそうで、意外と新しいんでした。アフリカ系宗教と先住民の宗教、カトリックが混じった宗教との事。彼らのインスタに、カトリックの聖人の写真も載ってたんで、??と思ったので。

 

 

Samba de Caboclo 2022 | Chegada dos Caboclos

 

 

 

 

 Terreiro de Criouloは、テヘイロと書いてありますが、Googleで検索したら、ナイトクラブ、ライブハウスとの説明がありますね。別にCabocloをやってるテヘイロではなく、アフリカ色濃い、Samba de Rodaをやってる場所なのかな?。というか、サンバ黎明期の有名な、Casa de Tia Ciataは、テヘイロのMae de Santosらが切り盛りしてたけれど、ホームパーティ的な場でサンバパーティをしてたそうで、その辺りの、どこまでが宗教的なものか、どこまでがパーティなのか、よく分からない感じはします(^^)。リオのRealengoにあるそうです。Madureiraを東に向かった辺り。

ま、先日、Tia Ciataの紹介文を読んでたら、当時、アフリカ系の太鼓を使った演奏は、ブラジルでも公的には禁止されていたそうで、警察が取り締まりにきたりするけど、場所の手前の辺りでは、当時許されていた、ショーロなどを演奏していて、こういうのをやってるんですよ、的に説明して、警察を帰していた、との策を使ったと書かれてて。確かに、こういうパーティを楽しんでた面もあったんだろうけど、やはり、アフリカ系宗教は、アフリカ系の人々の心と文化的支えであったので、そうやってパーティなどをしつつも、彼らはアフリカ系宗教を守っていこうとしたんだろうと、後で気づきました。

 アメリカでは、完全に黒人奴隷のアフリカ系の太鼓は、危険とみなされ、完全に禁止され、太鼓は取り上げられたそうです。ブラジルも同じ事をしていたとは言え、酷いな…。ニューオリンズでカンドンブレと同じ流れのブードゥーが存在しましたが、ルイジアナがフランス領時代に、カリブのハイチ移民が持ち込んだのだろうから、米国がブードゥーを許した訳ではないはずです。

 

こちらは、Samba de Crioloのライブでは無いけど、似た感じのアフロなサンバ・ヂ・ホーダの動画。Terreiro de Criouloは、演奏場所の名前みたい。

 

Samba de Raiz com TERREIRO DE CRIOULO - Bloco 03

 

 

アフロ~!。これが、Fundacao Progressoでの演奏。

Samba de Caboclo - Samba de roda - Rala o coco

 

 

先日、この動画を見たんで、このアカウントが流れたみたいです。妙に上手いソプラノSAX奏者がパゴージでソロ弾いてるんで、?と思ったら、Dirceu Leiteでした。顔を覚えてなかった。

Terreiro de Crioulo canta Zeca Pagodinho (Ao vivo) - Vol. 01 Part. Dirceu Leite

 

 

 

 

これとか、ほぼカンドンブレの演奏と踊りですね。ライブ会場のしつらえも(床に葉っぱを散らす所とか)。SPやBHなどでもライブしてるそうです。人気あるんですね。インスタの説明読んだら、Exuみたいです。バチもカンドンブレ風に木の枝で叩いてて。真ん中で踊ってるのが、多分、Exu。普通のライブハウスでの演奏です。彼らのライブ、目の前で見てみたいー!!。

 

https://www.instagram.com/p/C69F7aOOsbq/?hl=pt

 

打楽器隊、めちゃ上手いな~!と思ったら、最後になりますが、インスタで、各メンバーを写真付きで紹介してるのがあって、それ見たら、有名Per奏者の、Nene Brownがメンバーでした(笑)。Nene Brownって、有名バンドTrio Preto+1の人やん…。Marisa Monteのバンドで、先日来日した、Pretinho do Serrinhaもそのバンドのメンバー。そりゃ、上手い訳で…。あと、歌が上手いなーと思った人は、ポルテーラの元PresidenteのSerginho Procopioで(今は、ポルテーラのVelha Gurdaだそうです。父がポルテーラのカヴァコ弾きのVelha Gurda)、なかなかの豪華メンバーみたいです。少なくとも、数年前から活動してて、元々はSamaba de Rodaのイベント名だったみたいですね。別アカウントで、イベントとしてのアカウントが、同名でありました。

 

 こちらが、その古い方のSamba de Rodaとしてのアカウント。「O Samba de Caboclo é um projeto voltado para a cultura, resgatando a tradicional roda de samba raiz e samba de roda.」との説明が書かれてる。なるほど…。リンク貼れてないかもですが。

 

 

Samba de Cabocloのグループとしてのインスタは、何と、38万人もフォロワー居て、めちゃ人気あるみたいです。

 

メンバーの一人の、Zero Tellesも有名MPBのアルバムに多数参加してて、知らなかったけど、有名な奏者でした。ルミアールのソングブックとか、Francis Himeとか、Wilson das Nevesのアルバムとか!。Bebetoにも参加してるそう。

https://www.discogs.com/artist/5714877-Zero-Telles

 

最近は、Orquesta Imperialに参加してるみたいです。これもお祭りバンド的なユニットだけど、よく考えたら、豪華メンバーですな…。カシン、ドメニコ、Moreno VelosoにPedro Sa…等々。

 

 

 

3部に分かれたライブのPart1で、太鼓だけで歌ってる恰好いいーVoを聞かせてるのは、彼みたいです。Walance Dimalという方。やはりミュージシャン。歌い方や、客の煽り方の声が、PsircoのMarcioに似てて、彼に影響受けたのかしら?。すごい歌が上手いけど、歌い方が、Pagodeの人って言うより、Axe、バイーアっぽいのが、何とも良い味です。彼の、Youtubeのアカウントを見つけたら、プロフィールにアタバキとだけ書いてあって、もちろんアフロ系のアタバキ演奏の動画ばかりポストされてて、しかもアフロ系宗教のテヘイロでの動画もあったんで、そういうアフロ音楽に親しんだ音楽家みたい。リオでもUmbandaとかのアフロ宗教があって、それがサンバの音楽家と密接な関係があるのは知ってたけど(というか、そういうテヘイロからサンバが生まれたと言えるので)、リオの音楽家は、サンバの人でも、なかなかテヘイロでの体験を語る人が居ないので、今さらだけど、そういう情報を知ると、新鮮な感じがします。

 

 

ググったら、7弦ギターの人は、リオ連邦大学で音楽専攻してたそうだし、PH Mocidadeというメンバーは、名前の通り、Mocidadeで活躍した人だそうで。今、ブラジルでは、こういうアフロな音楽が人気なのかしらん。少し前から、色んな伝統的アフロ音楽を取り入れた音楽家が注目されてましたが。

 

 

他のメンバーのBinho Percussãoは、Neghinho do Beija FlorやBebetoのバンドメンバーをしていて、その後、有名パゴージバンドの、Pique Novoのメンバーになったそう。で、↓の解説によると、祖母がMae de Santoだそうで、小さい頃から、やはりマクンバのテヘイロに参加してたそうで。その辺りの体験が、音楽家としての土台になってる的な説明が。

 


 

 久々に、江州音頭聞いてたら、江州音頭聞き始めた最初の頃に聞いて心を射られた、2014年の第20回広域江州音頭師交流盆踊り大会 in 若王寺(滋賀県甲賀市土山町大野)の、おそらく前年の、2013年の動画を幾つか発見(盆踊りのイベント名は無いですが、櫓が同じで、仮装の人達が居るので)。やはり、どれも恰好いいです。

 

桜川天龍 江州音頭 2013 9/8 @若王寺 甲賀

 

 

 

近江 富士若 江州音頭 2013 9/8 @若王寺 甲賀

 

 

桜川富士丸 江州音頭 2013 9/8 @若王寺 甲賀

 

 

江州音頭フィナーレ 2013 9/8 @若王寺 甲賀

 

 

 この4つの江州音頭動画をアップした、Youtubeのアカウント、動画の内容やアカウントの写真からすると、もしかして、久保田真琴さんのアカウントかしらん…。久保田さんがプロデュースされた濱口祐自さんのライブ動画も、すごく多いので。あと、ブラジルの音源を久保田さんがRemix?した音盤の音源のトレイラーもあるし…。76年の貴重な、「久保田麻琴&夕焼け楽団 “バイバイ ベイビー” 1976年@日比谷野音」の動画があって。すごく恰好よくて。久保田麻琴&夕焼け楽団は、初めて聞いたかも?(日本の音楽、あまり聞いてないので、スミマセン。サンセッツは聞いてましたが、久保田さんが歌うの、初めて聞きました…。久保田さん、歌お上手だと、今さらに知りました…。ギターも、さすが上手い~)。

 しかし、この広域江州音頭師交流盆踊り大会 in 若王寺は、素晴らしい…。仮装の素晴らしさも含めて(笑)。

 

この動画の後に、もう1つ、2017年の広域江州音頭師交流盆踊り大会 in 若王寺の動画を見つけました。広域江州音頭師交流盆踊り大会で動画を、何度も検索したんだけど、あまり見つからなかったんですが。多分、検索の仕方が悪かったので、見つからなかっただけ、と思いマス。江州音頭の動画をUPする方は多いので、ネットに沢山動画あるはずでしょう。

 

江州音頭 甲賀市大野若王寺 櫻川夕湖 20170908

 

 最近、同じ曲ばかり聞いてるし、昔の曲ばかりつい聞いてしまうので、今の曲や色んな曲も聞かないと…と、久々にブラジルのネットラジオが聞ける、FM O Diaを聞いてみました。楽しいね。

 勿論、現地では電波でも聞けます。考えてみたら、ラジオって、線もないのに電波をキャッチして聞けるなんて、ネット以前からすごいメディアだね~。私はすごくラジオが好き。その昔、永井荷風はラジオをうるさい等と、嫌ったらしいですが(笑)。

今のネットラジオはすごいね~。曲名とアーティスト名表示出るだけじゃなくて(出ない時もあるけど)、MVの動画が同時にFM局のサイトで見れるんで。

しかし、ブラジルのネットラジオにはすごくお世話になりました。少し前に書いたけど、はるか昔、リオのFM98というグローボ系のラジオ局が超好きで、愛用してたんでした。老舗だったけど、今は、終了してしまいました…。すごく残念だったけど。

 

 

FM O DiaのMV見れるサイトは、こちら。音だけの放送もサイトで選択できます。

 

 なぜか、7月末から江州音頭に関心が出て、江州音頭や河内音頭、それらと関係の深い浪曲(実は、好き)等の、あれこれ調べてる内に、以前、料理のことを調べて、超ハマって、色んな本を読んだ時みたいに、色んな芸能や浪曲などの本を読んで、調べだしたら、止まらなくなりました…。今年の夏は、江州音頭と河内音頭、それから久々の浪曲にハマる日々でした。ずっと読まねば、と気になってた小沢昭一さんの「日本の放浪芸」シリーズの書籍を、ようやく読んで、ああ、こういう事なのかと、うなづきまくる日々で。

 

 江州音頭が、日本の現代の様々な芸能に与えた影響の事はちらっと聞いてましたが、実際に調べてみて、江州音頭のルーツの1つのデレレン祭文と江州音頭から、浪曲や河内音頭などが生まれ(※正しくは同系のデレレン祭文と、それから生まれた江州音頭の座敷音頭から浪曲が生まれたと聞きますが。座敷音頭はほぼ浪曲に近い)、江州音頭は大阪で人気を大変人気を博し、大阪の寄席などに江州音頭の音頭取りが出てたそうで、そういう江州音頭芸人の中から、萬歳に影響を受けたような漫才を始める芸人が出て、彼らの始めた漫才が、現在の大阪の漫才へと繋がっていったそうで。
 浪曲は、15年前位から大好きなので(と言っても全く詳しくない)、その点から似たところのある、こぶしの効いた江州音頭や河内音頭は好みで、その相互関係も含めて、とても興味深くて。

 ※やたら話が飛んで、枝葉に分かれますが、整理出来てないので、後日整理しなおします。7月末に江州音頭にハマったばかりの、新米ペーペーなので、知識不足な点は、お許しを請います。なぜか↓の説明は、江州音頭以外の盲僧琵琶とか、浪曲と大川の木工の話などが大部分だったり(^^;。江州音頭の話も、後ほど追加します。

 

 

 江州音頭にハマった頃に、浪曲で気になる点があって調べ始めたんですが、地元で出た浪曲の資料を図書館で教えて頂いて、それを見てたら、筑後地方の三潴郡や山門郡などに、昔は沢山の浪曲師がいたことを知り(昭和初期の頃)、今は田舎と思われがちな三潴などの地方に?(昭和初期の三潴郡なので、三潴郡には現在の大川市も含まれてた)と思ったら、大川は元々、船大工の船製造が盛んで、鉄道が出来る以前は、筑後川上流の日田などから、杉の木を筏に組んで、筑後川を2~3日かかりで、大川まで運んで(筑後川に、母が小さい頃も、筏下りが見れたそうで…)、大川で船を作っていたそうで。大川辺りは、上流からの船が着いて、有明海方面の海への船に、荷を積みなおす、荷物の集散地、物流の中心地として栄えたそうなのです。一時は、福岡で一番海運の荷物量が多かったとか。知り合いの家が、大川の旅館で、何で大川の旅館が?と気になってたんでした(そりゃ、市内に旅館くらい、いつの時代も幾つかありますけど)。

 で、筑後川沿いに、特に観光地でもない所に、古い小さな旅館が点在してて、あれは一体なんだろう?と(久留米~吉井まで、以前よく自動車で210号線沿いなどに、うろちょろしてたので)、ずっと気になってたら、あれは筑後川のそういう筏下りの船乗りが、2~3日かかりで大川まで下る途中で泊まる為や、日田街道を通る人の為の、宿でもあった気がします…。それを知ってびっくり&目から鱗でした。特に日田から大川までの丸太の筏下りの話は仰天しました。戦後も夜明けダムができるまでは、筏下りが残ってたそう。

 で、三潴には、そうやって日田から来た筏下りの船頭や、有明海から上がってきた船乗りが集まってたみたいで、そういう人の為に、おそらく娯楽として、芝居小屋などがあり、そこで浪曲師が公演する需要があったんだろうなー。山門郡は、三池炭鉱のあった大牟田市に近いので、浪曲師の需要があったのでは。娯楽の少なかった昔は、炭鉱のそばや、物流の中心地など、労働者の多い地区には、芝居小屋などの娯楽が集まってたそうです。

 

 日本では、船での運搬が、鉄道や自動車運輸が発達する以前は、運輸の主流だったそうです。運輸の主流が、鉄道や自動車になるにつれ、船の製造が減って、大川の船大工が箪笥を作るようになって、大川が木工の町になったり、川を運搬に使ってた頃の川沿いの街道の文化が廃れていったり、その事も初めて知りました。母は筑後川の近くに住んでたので、昔、丸太を組んだ筏下りの人が、川をいくのを、先に書いたように、下校途中などに見かけてたそうですよ。今は昔…。

 

 小沢昭一さんの「日本の放浪芸」を読んだり、中世の琵琶法師のことをふと思い出して、以前、動画で普通の平家琵琶とは違う、みょうに緩んだ感じの、ブラジルの北東部の吟遊詩人みたいな、まさに中世みたいな響きの琵琶を奏でる琵琶奏者の演奏を聴いたので、それを思い出して、聞いたら、福岡市の高宮に、盲僧琵琶を伝える天台宗の寺があると知って、福岡などの盲僧琵琶や、その周辺の、天台宗と関わりがない訳でもない、山伏や、その修行を行った修験道の修験宗が、明治維新の廃仏毀釈で、禁止になったりの歴史をしったり、さらに、地元の高良山に、沢山の寺があったが、明治維新の廃仏毀釈で寺が廃止され(その事は知ってた。私が子供の頃は、廃止された寺の廃墟が、山に点在してたのです…)、高良山という名称は山の名前というより、高良山にあった寺の名前の事だったと知った。地元の歴史を知らなかった事に、また目から鱗を落としまくったり。

 

 高良山には、デロレン祭文に影響を与えたとも言われる、山伏、修験道の寺もあったそうで、その修験道の寺は、明治の廃仏毀釈で廃止されて、修験道の寺は、天台宗などに変更されたそうです。これも知らなかった…。御井町に修験道の山伏たちが闊歩してたんでしょうね、昔は。というか、地元は英彦山の文化の影響が濃い地区で、昔は英彦山から英彦山がらがらを売りに来てたそうで、小さい頃は、まだ結構あちこちの家に、英彦山ガラガラが家の玄関に下がってたんですよー。昭和の人は覚えてるはず。で、御井町の人も、戦前など昔は、一般の人も、年に一回英彦山詣でをしに、久留米から徒歩で英彦山まで行って、修行してたそうで…。それを御井町町誌などで知ったのも、驚きでした。母も英彦山から来る人たちの事を、小さい頃見てたと言ってた。

曰く

「山伏と英彦山と言えば、御井町誌に「英彦山ごもり」という章があって、昔、普通の家が年に1回英彦山にお参りする習慣があったそうで。久大線が通るようになっても、英彦山まで歩いて行ってたそうな。 地元に来る英彦山山伏は、山伏の恰好をして、組み寒行に回ってきたそう。英彦山から到着すると知らせが入り、『すると各家では水をはった桶を玄関に置いて山伏が訪れるのを待っている。玄関に立った山伏は、頭から水をザブリとかぶって身を清めると祈祷をはじめるのだった。  そうやって町内を回り終えると、主だった家に寄り、風呂に入って冷えた体をあたため、一泊してまた他所の地区へと祈祷を重ねて行くのであった』」

 

上記は、「御井町誌」からの抜粋&まとめです。 御井町誌は、デジタルアーカイブがあります。

 

 高良山の盲僧琵琶では、 『ちょっと遠くへ旅行をするという場合、「荒神さんにまいったの?《という言葉をかけて、見送っていた。荒神さんは旅先での災害や事故から、人を守ってくれると信じられていて、また俗信ではあろうが、家を火事等から守ってくれるとも考えられていた。「荒神さん《は、三宝荒神、すなわちカマド神として知られている。表面には出ずに、陰にかくれていて夫々の人を保護してくれると信じられている。 今の生活様式ではもう余り見ることができなくなってしまったが、昔の古い建物には、炉やかまどが据えられていて、火の神、荒神様のお札が貼ってある柱が必ずあった。その柱のことを「荒神柱《といい、また台所や勝手の間に荒神様をまつった「荒神棚《があった。  その昔、高良山の登り口に本寿院というお寺があった。ちょうどこれからいよいよ山を登りはじめるという鳥居の前に、自動車道をはさんで孟宗竹の林があり、そこが本寿院の跡といわれている。

本寿院には盲目の僧がいて、琵琶を抱えて家々をまわっていた。いわゆる琵琶法師であるが、その盲僧が、琵琶をならしお経をよみながら回ってくると、たのんでかまどの所にまつってあった荒神さんを拝んでもらっていたということである』 

国東の盲僧琵琶の法要と、玄清法流の法要と同じですね。

 

http://snk.or.jp/cda/miimachisi/1-8yatori.html#08

 

『筑前の盲僧琵琶は、平安時代の玄清法印を始祖とする。成就院は琵琶を弾いて荒神祭りを行う盲僧琵琶の一派、玄清法流の本拠地』 『かつては、檀家を回り、家や竈のお祓いをする廻壇法要が盛んに行われ、琵琶が演奏されていたが、近年は竈を有する家が減少しており、往時に比べると法要も少なくなった。 現在は、主に夏の施餓鬼供養などの場で演奏されている』 

 

玄清法流盲僧琵琶 福岡市南区 成就院

 

↓共同通信のネット記事で、確か拝見した文章。

『現在、福岡市内の盲僧琵琶は晴眼の僧侶によって担われていますが、かつては盲人の僧侶によって担われており、彼らは週休活動のみならず芸能活動にも携わり、筑前琵琶や薩摩琵琶の元を築きました。本行事は、そうした現在は芸能化した琵琶の源流の魅力を感じられるものです』

 

 

↓PDFで100頁ほどあります。

「座頭(盲僧)琵琶の語り物伝承についての研究」 兵藤裕巳

https://www.seijo.ac.jp/graduate/gslit/orig/journal/japanese/pdf/sbun-26-04.pdf

 

 

 上に書いた、福岡の筑前琵琶に影響した盲僧琵琶や、久留米の善道寺の人が始めた筝曲が、日本の筝曲文化に大きな影響を与えたとか知って、それも目から鱗がぽろぽろと…。この様に、日本の芸能が宗教の文化と繋がりが大変深い事を知ったのも、ブラジルの芸能、音楽も宗教の影響が濃いので、興味深かったです。日本の今の音楽は、ほぼ宗教との繋がりが薄いので。

 

善道寺のパンフレットより。 『英彦山の唐が谷に、昔唐の李氏の末裔が渡来して十三元の箏を伝えていました。のちに鎮西上人がこの箏を当山にと耐え、仏事音楽に用いられました。更にのち、善道寺の僧「賢順(1534~1623)」が善道寺楽や寺院歌謡を譜に整理して筑紫箏を編み出しました。その孫弟子に八橋検校を輩出し、その源流から生田流、山田流として受け継がれています。ゆえに当山は「筝曲発祥の地」として筝曲関係者の聖地として大切にされています』

 

↓wikiですが。

『近世箏曲は、戦国末期から江戸時代はじめにかけて活躍した賢順が完成した「筑紫箏」を始祖とする。彼は浄土僧でもあり、寺院に伝承される雅楽や歌謡を修め、また当時来日していた明人の鄭家定に琴を学び、 これらから箏曲を作り出した』

 筝曲

 

 

 

善道寺の説明と少し異なります。 『九州に渡来した中国(明)の鄭家定に七弦琴、瑟、箏を学び、また、善導寺に伝わる雅楽・寺院歌謡などを修得して、箏伴奏の歌曲を創始した。その後還俗して大友宗麟に仕えたが、宗麟がキリスト教に帰依したことから宗麟の下を離れ…』 

賢順

 



 江州音頭から話が飛びましたが、ブラジル音楽の知識は持ってるのに、日本芸能の知識は、浪曲以外は、全く無かったので、大変勉強になった夏でした。江州音頭の題材が、浪曲の題材と重なってるんですが、他にも、講談、浄瑠璃、能、落語、歌舞伎などの題材(外題ともいう)と重なってて、これらが日本芸能に脈々と流れてる事を、初めて知ったのも、大きな収穫…。能とか歌舞伎とか、関心薄かったので(父は、実は能のお謡いを、昔やってたんだけど。昔から、あれは苦手でした…。ごめんなさい)。こうやって、色々と知識をつけると、すごく面白いです。

 

 こちらのアカウントが、2014年の第十九回広域江州音頭師交流盆踊り大会の動画を沢山アップされてて、江州音頭聞き始めの時に、こちらの近江源三郎師匠の江州音頭を聴いて、江州音頭にノックアウトされたのでした…。記念すべき1曲でした。最初はスズメのティアーズと中西レモンさんの共演ライブ動画で、江州音頭を聴いて、江州音頭って?!、とググったのが、発端です。

 

第十九回広域江州音頭師交流盆踊り大会  2014/9/8 滋賀県甲賀市土山町 若王子

正調江州音頭 近江源三郎

 

これは別の年の動画。雨で、本堂内での開催になったそう。40分10秒辺りからは、その近江源三郎師匠みたいで、すごく恰好良いです。

第20回広域江州音頭師交流盆踊り大会 in 若王寺(滋賀県甲賀市土山町大野) (その2)  Goshu Ondo (bon odori) 

 

今年のすみだ錦糸町河内音頭大盆踊りでの、中西レモンさんの江州音頭。

江州音頭/中西レモン すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り2023年9月7日

 

 

 

中西レモンさんとすずめのティアーズの江州音頭の動画。

江州音頭 中西レモン すずめのティアーズ 2022年中野駅前大盆踊り

 

 

奈良県無形文化遺産映像アーカイブさんのチャンネルの、奈良市田原地区の、デロレン祭文・祭文音頭などの動画も、超超貴重な動画で、何度見ても、目から鱗落とします…。江州音頭(から、漫才へとつながる系譜もある…)、河内音頭、それから浪曲へと繋がる、大事な芸能、デロレン祭文の動画が、これ以外に見つけきれなかったのです。奈良県無形文化遺産映像アーカイブさんは、貴重な動画が沢山。

 江州音頭で、法螺貝吹いてて、レーンレーン、レンレレレンレンという合いの手が入って、アシッドで面白いんですが、それがデロレン祭文からの影響が残るフレーズ。江州音頭が錫杖を振るのもデロレン祭文の影響で。江州音頭はデロレン祭文がルーツの1つにあって、江州音頭の解説に、何度もデロレン祭文の名前が出てくるんですが(他にも、色んな語り芸がルーツになってる)、今では殆ど見る事が出来ない芸能なので、デロレン祭文のことが、しばらくさっぱり理解できなかったんですが、浪曲師でもあった三波春夫さんの伝統芸能本や、この動画、他の浪曲本を読んで、やっと理解できたんでした…。

 

田原の祭文・祭文音頭・おかげ踊り(一般編映像)令和3年

 

天寿師匠の江州音頭、ソウルフルで、ちょっとアシッド感もある、ルーツ色濃くて、好きなのです。大阪でも江州音頭多いんですが(最初、なぜ大阪でも江州音頭が多いのか、よく理解できなかった…)、テンポが速めの江州音頭が多いので、リズム落とし気味の、滋賀県風の江州音頭が好きです。

【江州音頭】志賀國天寿 江州音頭「千両幟千田川」~フィナーレ 日牟禮八幡宮 2020.8.16 大萬燈祭

 

 

 

 

 

河内音頭、江州音頭の詳細なドキュメント。

 

 

 

浪曲師東家一太郎さんのブログ 浪曲の文献&音源など

 

 

 

 

壺坂霊験記という物語も、浪曲や江州音頭、河内音頭の知識が増えてきたら、そういうモチーフなのか…と理解が進みました。

 

 

初代京山幸枝若師匠の河内音頭のライブ映像。天才的な節回しとリズム感。つい、体が動いてしまう、横揺れの躍動感が大きい。

 

こちらの河内家菊水丸さんの動画アカウントに、初代京山幸枝若師匠との貴重な対談音源が。こちらの動画リンクは、レアなアーカイブが沢山あって、目から鱗でした。

 

 

 

 

佐賀の背振山の修験道の山の寺。

 

こちらのアカウントでは、某動画群がアップされていて…。