もしも誰かに
ちょっぴり嬉しい言葉を言われたとしたら
どんな風に受け取りますか?
例えば
お母さん、
あなたのことを
『ほんとに素敵ですね』
そんな言葉を言われたら…
『いえいえ、そんな大したことないですよ〜』
と応えますか?
それとも
『わぁ、嬉しい。ありがとうございます』
と応えますか?
日本人の特徴的な
《謙遜》の文化がありますよね
素直に『ありがとうございます』って
なかなか受け取れないことってないですか
かと思えば、
他者からの《批判》などの否定的な言葉となると
『酷いこと言われた』
『なんでそんなこと言うの』
って
素直にそのまま受け取ってしまう
否定的な言葉に対して
『ありがたく受け取ります』
ってなるとハードルは高いかもしれません
ですけどね
他者からの言葉に対して
どう受け取るのか…
これは自分自身で決めることができます
そしてそして、
自分が自分自身のことを
どんな風に見ているのかによって
受け取り方って変わるのですね
『素敵ですね』
と言われたときに
『私は素敵ではありません』だから
受け取りません
『いえいえ、大したことないですよ〜』
否定的な言葉を言われたときに
『私は酷いことを言われる人』だから
受け取ります
『なんて酷いこと言うの!』
なんだかチグハグですね
目の前の人って
鏡に映る自分の姿だといわれますよね
鏡に映る自分の髪が
ぐちゃぐちゃになっているとしたら…
鏡に映る自分の髪を触ろうとしても
整えることはできません
鏡の前に立っている
自分自身の髪を触らなければ
整えることはできません
だとしたら
目の前の人から言われた言葉も
受け取る自分自身を見つめてみなければ
変えることってできませんよね
どう受け取るのかは
自分次第ということですね
目の前の人の
言葉にしても
行動にしても
気持ちにしても
コントロールしようとしても
変えることってできないのです
他人と過去は変えられない…
だけど
自分と未来は変えることはいくらでもできるんですよね〜
かくいう私は
思春期の頃あたりから
看護学生時代まで人前で
自分の姿を鏡で見ることができませんでした
自分に自信がない…
それだけのことだと思い込んでいました
でも実は…
自分の姿を鏡で見られない
つまり
自分のことを
自分の嫌なところもダメなところもすべてを
見つめようとする勇気がなかった
自信がない…ことにして
結局の所
自分から何かしら行動を起こそう!
というエネルギーの出し惜しみをしていた…
ってことだったのです
自分を整えていかない限り
目の前に起こる出来事は整然としないのに
避けていたのですよね
目の前に起こる出来事は
自分には関係なくて
すべて周りのせい…
自分から変えようとせずに
出し惜しみをしていても
整うはずはありませんでしたね
今となっては
とっても恥ずかしい
そんなこんなの5.6年前のあるとき
実際に鏡に映る自分自身を直視しなければ
どうにもならない
きっかけに出会ったんです
ベリーダンスを習い始めたのです
あれだけ鏡に映る自分を見ることができなかったのに
うまくなりたい!という一心で
鏡に映る自分の姿を
見つめ続けていました
そしたらね〜〜
不思議なことに
実際に本当に身体の動きを整えることを
続けていたら
心の方まで整いはじめたんです!
つまりは
目の前に起こる出来事はすべて
自分自身からしか変えることってできないや〜ん
ってことに
体感から心に、心から腹に
腑に落とすことになったのです
すべては自分自身からはじまる
目の前に起こること
そして
目の前の人の
言葉にしても
行動にしても
気持ちにしても
コントロールはできなくって
自分自身が
どのように受け取っているのか
これに
向き合ってみなければ
気がつかないものなんですよね
自分自身のこと
どんな人だと見ていますか
そして
何をどんな風に受け取りますか
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