歌仙「灰汁桶の」の巻 21
名残の裏(序破急の急:終結部・短く躍動的に)
1)物うりの尻声高く名乗すて 来(雑)(折立)
2) 雨のやどりの無常迅速 水(雑)
3)昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 蕉(雑)
4) しょろ/\水に藺のそよぐらん 兆(雑)
5)糸桜腹いつぱいに咲きにけり 来(春)(花の定座)
6) 春は三月曙のそら 水(春)(挙句)
名残の裏三句目です。
昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 芭蕉
│ひるねぶる○○│あおさぎのみの│とうとさよ○○│
現在「青鷺」は夏の季語なんですが、この歌仙が巻かれた当時は無季だったようです。よって、この句は雑の句です。
「ねぶる」は、眠ること。
前句と合わせて、
3)昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 蕉
2) 雨のやどりの無常迅速 水
意訳すると、
明るい昼間をピクリとも動かずに眠る青鷺の身の上のなんと尊いことよ。
にわか雨に雨宿する間でさえ、世の中は人を待たず速やかに移り変わってゆく。
でしょうか。
前句2)が観念的ですから、ここは具体的に対象を描き出したかったのでしょう、芭蕉は。
ただし、表に現れている世界の背後に、さりげなく観念が呼応させられています。「無常迅速」と「無常迅速」という人の観念などまったく無関心で平然とした「青鷺の身」の上との対比ですね。
1)物うりの尻声高く名乗すて 来
2) 雨のやどりの無常迅速 水
から
3)昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 蕉
2) 雨のやどりの無常迅速 水
への展開です。
無常迅速の人の世、それも「物うり」に代表させられるような俗の世界に、超然と午睡をむさぼる青鷺が対置させられました。これも、芭蕉の境涯ですね。野水は感心し、そして共感したことでしょう。この場面、つまり序破急の急において、こんな句が苦もなく出る芭蕉って、やはりすごいよね。
名残の裏四句目です。
しょろ/\水に藺のそよぐらん 凡兆
│しょろしょろみずに│いのそよぐらん│
「藺」は、現代では夏の季語なんですが、ここも無季扱いで、雑の句です。
そよ・ぐ【戦ぐ】
《自五》
(サヤグの母音交替形) そよそよと音をたてる。古今和歌集秋「稲葉―・ぎて秋風の吹く」。「風に―・ぐ木々の葉」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
前句と合わせて、
3)昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 蕉
4) しょろ/\水に藺のそよぐらん 兆
意訳すると、
明るい昼間をピクリとも動かずに眠る青鷺の身の上のなんと尊いことよ。
(そのかたわらで)しょろしょろ水の水流に動かされてだろうか「、藺草がそよそよと音をたてている。
でしょうか。
具体的な「青鷺」が登場してなお観念的であった前句の観念臭を消し去るために、凡兆は青鷺の眠る場所の様子を付けたのでしょう。さすが景気詠の凡兆です。
3)昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 蕉
2) 雨のやどりの無常迅速 水
から、
3)昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 蕉
4) しょろ/\水に藺のそよぐらん 兆
への展開です。
ここで再び観念臭い句を付けるなら、せっかくここまでたどり着いた歌仙が崩壊してしまいます。いいですね凡兆。こういうのも変化のうちです。
2) 雨のやどりの無常迅速 水
3)昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 蕉
4) しょろ/\水に藺のそよぐらん 兆
この展開は、躍動感があって序破急の急にふさわしいですね。
2)の観念から、3)の観念の比喩へ、そして4)の現実への帰還。見事です。
芭蕉も、満足だったんじゃないかな。