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皆さま、しばらくご無沙汰しております、Swedenより角田です!

前回ブログ更新より、大分と色々ありました。
あって、せせこましていて、ブログからも遠ざかる事態となっておりました。
そして、現在も相変わらずせせこましている時期のちょうど中日です。
また帰国までにさらにせせこましそうな予感があるので、あと、この地にて何回かけるか分からないブログを、更新しておこうと思います。

あ、その前に。
Swedenは2日前に、一年で一番日の長い一日を越しました。
これからはどんどん日が短くなっていく模様です。
もう最近は白夜そのもので、寝ようにも外が明るくて、寝るのが大変ですよ~!(*^▽^*)

あ、それで、ここ最近私は何をしていたかなのですが、前回のコンサートが終わった後、もう一つ、こちらで習っている先生のコンサートに出たんですね。曲は、Swedenのクラシック音楽作曲家の曲と、フォーレの連弾曲を、同じく生徒さんである大人の女性の方と一緒に弾きました。いやぁ、2曲ともから学ぶ事が実に多かった。前者の方は、どうしても曲の感じが自分に入って来ず、最後まで先生に「もっとSwedenな感じなの>_<!!」と言われ、「んなこと言っても私ここに長くおらんし・・どうしたら掴めるんかな」とか、「私ここにいて全然Sweden掴めてないんやろうか」とか言う悩みや落ち込みに本番直前まで襲われてました。本当に。会が始まる直前に、先生に、久石譲の「spring」に変えて良い??って聞いたくらい(;´▽`A``で、結局、先生のその時の力強い「No,you can do that!!」→「大丈夫、弾けるわよ。」の一言に押されてなんとか弾きました。一つ、ここまで自分がstruggleした原因に、曲に対する自分のイメージ像が、本番当日朝まで作曲者が意図したものと違っていた。っていうことがあったんです。私は勝手にメロディーの感じから、「湖の上でボートを漕ぐ Folkたち」と思ってたんですが、なんかもやもやしてSweden語の題名を辞書引いて調べてみたら、「森の中のfolkの出現」だったんです。もう、本当にこの時雷に打たれた気がしました。急いで練習室に行って、出来る範囲で曲まとめ直してみて。。。結局本番は即席の仕上がりの曲となってしまいました。始めから曲についている表題について意味を調べれていれば、もう少しこの曲と仲良く出来ただろうし、弾いた際聞いている人に、もう少し魅せれるこの曲の表情があったんじゃないかな。って今でも思います。ただ、この地にて、Swedenの作曲家(特に今回の人は、Swedenの人々の暮らしや景色を題材に音楽を作っている人)が書いた曲を勉強するというのは、何にしても自分の今の生活の中にあるものを存分に生かせる、良い経験になってくれてるんじゃないかと思います。後者についてですがこちらに関しては、、私は曲からというより、一緒に弾いた女性から学ぶことがふんだんにありました。実は彼女は、10代で一度ピアノをやめ、子育ての落ち着いた30代の今、ピアノを再開したという人でした。とにもかくにも、彼女の音は「柔らかい」。人生経験がそれこそにじみ出てるし、それ以前に、恐らく彼女そのものが持っているものが音ににじみ出ているし、あぁ、良いなぁ。彼女の音を聴いていると幸せにさせてくれるなぁって、思いました。実は彼女も私との連弾とは別に、同じSwedenの作曲家(もう面倒くさいので、名前を書いておきます。「Peterson Berger」ついでに彼の曲のリンクも下に載せておきます。)の曲をその会で演奏したのですが、なんていうかな、やっぱり彼女の音色の方が曲にあってる感じがしました。私は、彼女から自分に今までなかった(=フォルテ)を学びましたよ~!

http://www.youtube.com/watch?v=hQc2RlBB-vM

で、結局のところなぜだか、私の演奏の評判は先生から、また聞いてくれた人たちの間でとても良かったです。「聞いていてなんだか楽しかった。」一番今も残っている嬉しい感想でした。帰り際、聴きに来てくれた友達が批判家の人たちで、会全体からそれぞれの演奏者までの感想を聞かせてくれました。気が付けば、疲れてる中、彼らの批判を耳にするのは地獄のような時間となってました(´д`lll) が、結局翌朝たっぷり寝て起きて見れば、非常に良い話を聞かせてもらったなぁ、昨日は。って思う所が、私のどうしようもないところですね。その演奏会には、地元smålandの地方記者の方が取材に来ていて、私はちゃっかり新聞に写真まで載ってしまう事態となりました。私の人生80%はちゃっかりで出来てるような気がします。ははっ(^▽^;)

とにもかくにも、ぐったり疲れさせてくれる、良い演奏会となりました。

そこから、またバタバタ~と、帰国に向けた荷物のまとめや持って帰る土産の用意等をし、(とはいってもしょっちゅうまったりもしてましたがね笑(*´σー`)。゜)次はドイツのBerlinへ、Berlin Philの演奏を聴きに行ってきました。チケットを1か月前から購入してバックに入れてこの日を待っていたのです。あぁ、楽しみ楽しみ♪
夜のホールでの演奏会、昼のFreeのランチタイムコンサートの間は、ユダヤ博物館と、Berlinの壁を観に行ってきました。ユダヤ(=Julish)博物館は、その博物館の建物を建てた建築家が、ものすごく建築構造にこだわりを持ったものとなっていて(何かで建築デザインの賞も取ったようです)、なかなか面白い内覧となってました。博物館の入り口の建物と、奥の展示会場がわざと切り離された建物となっていたり、中の通路が歪んでいて少し迷路のようになっていて、その迷路のような道一本一本が、ホロコーストの道、継続の道、亡命の道と分かれていたり、、館内のいたるところに敷かれた一風変わった建築が、全て手がけた建築家の意図とこだわりによって敷かれていたのです。まぁ、結局、私はこういった類の、そこに触れる人間に錯覚や酔いを与えて楽しませる現代芸術の、種によってはとてもあくが強いところが、どうも作者の狙い通りと言うんでしょうか、狙い以上と言うんでしょうか、本当に自分の身体に大きな酔いとなってしまって、その空間にいると吐き気がし、身体に合ってくれないのですが。(自分にとって、人の意志があまりに強く敷かれた空間にいることは、得意ではないようです(_ _ )↓)この博物館で私が特に面白いと感じたのは、館内の展示物内容でした。私は博物館の名前から、てっきり「ホロコースト」の歴史、残虐な写真の展示や、当時の物品等が展示されているものだとばかり思っていましたが、(そのために、気持ちが悪くなってしまうのではと、行こうか行かまいか直前まで足を向かわせることに悩んだほど)見て回っている内に、その考えが単なるprejudgement;先入観であった事に気付きました。そこで展示されていたのは、徹底してBerlinに残る、ユダヤ民族の歴史をたどれる物証や、物証から想像されるユダヤ人の残してきた功績、暮らしの紹介です。よって私が想像していた「ホロコースト」の展示は、館内の展示の一部分であり、それと同時に、自分の持っている「ユダヤ人」のイメージが、自分の知ってる世界からナチスのヒトラーによる大量虐殺という世界に、支配されている事に気付きました。ここで紹介されていたユダヤ人の起源や、彼らの辿ってきた足跡を知れた事は、そう言った意味で自分にとって大変勉強となり、そしてまた、この博物館の魅力をさらに知れ得ることとなりました。あまり海外で博物館といったところに興味を持ってきてなかったのですが、行くところによっては面白いなと、そこは教えてくれました。その地をあとにして、夜はコンサートへ。席は安い一番後の端っこの席。壁にもたれてゆっくり良い時間を過ごせました。なんて、贅沢な一時だったでしょう。まさに音楽を食しました。あのオーケストラの音を聴けて本当に幸せでした。団員の感度最高!指揮者の音楽性最高!初めて見た光景に、音楽が全て終わって、オーケストラ団員も観客もほぼ全員去った後、まだ興奮の冷めやらぬ数人の観客が、拍手を再び始め、それにこたえるように指揮者が舞台へ再度出てきてそれに応える、という場面にも遭遇しました。私は、あの一夜の演奏はほとんど自分の中で満足いくものだったものの、f部分で少し感情が先走った音が混じることが多く感じられたので、それには同調せず退散。実は本来その夜指揮棒を振るはずだったのは、小澤征爾氏でした。(その日は代役の方が振っていらっしゃいました。)なので、彼が指揮していたら今度はどんなになっていたんだろうなぁとか、思いふけりながら宿に帰りました^^オーケストラ団としてのその歴史にも、そして持っている音楽性の高さにも、感銘を受けさせてくれるこのphilの演奏を聴けた事は、本当に仕合わせなことであったなぁと思ってます。

次の日は、Berlinの壁を訪ねにコンサート会場のある地と同じ駅で下車。
そこにありました。芝生の上。何のフェンスにも囲まれず、もう誰も振り返らないような格好で、ひっそり立ってました。はっきり言って、もしガイドブックがその辺りにあると言ってくれていなかったら、全く気付かなかったと確信して言えます。前日、どこかに残ってないのかな?と思いながら、ペラペラ本をめくってたら偶然に見つけて必死に探して訪れたというものだったので。
私は、博物館かどこかに保存されたものではなく、「まさにそれがあった、あの地」を訪れた事が、自分にとって非常に良かったなと今思ってます。だって、そのもの本来というよりは、私にとっては、それの周りにある景色たちが、ものすごく多くの衝撃を与えてくれたんですから。壁の西と東、違った絵が、その壁に描かれていました。その絵の先にある風景は、その境が分けていたものが「西」と「東」であることを、今でも教えてくれているようでした。またもう一つの衝撃は、一部となった壁の下に残された、壁の跡を残すレンガブロックの直線の先に駐車している宅急便の車、その反対側で、普通にびゅんびゅんと往来する車や人、そして大きなビル群でした。私はただその場で、壁をじっとみたり、レンガブロックの跡を踏みながら歩いてみたり、その辺りの街の景色をぐるぐる歩いてみたりしてました。その時撮った写真たちはもう一つ別のブログに載せておきますね。他の写真は画像フォルダにupしておきます。見れない方で見たいという方は例のごとく、角田本人に要望をお伝え下さい。「場」が当時の様子をありありと教えてくれるなんて事はまさかないけど、「場」が持つ雰囲気や、自分が教わってきた歴史とその雰囲気を通して心の中に起こった奇妙な一致やギャップそのものは、そこにて感じ得るものでした。
街全体の様子について言えば、電車のデザインから建物のデザインから、ひどく洗練され、ヒトラーが軍事目的で敷いたとされる幅広い道路は、現在車の行き来をスムーズに実現し、壁のそばに大きなビルがいくつも立ちはだかり、店の商品はアジアからアラビック風な文化や北欧のデザインから、様々な文化を上手く融合した商品が多く目につく。今思えば、何か忘れ去ろうと必死に自分たちの新たなアイデンティティを探そうとしている街なんだろうかとかも感じるけれど、そういった悲観的な見方じゃなくて、そこに生きる人々の底抜けの明るい表情から受け取った、自分がもらったその地にいるのが心地いいな、という気持ちを、素直にBerlinが持ってる今と受け取ったら良いのかな、とか今は考えてます。結局私がその地へ滞在したのはたったの2日でしたが、それでも、短期間でも、Berlinは上の事たちも含めた色々な顔を見せてくれる場所で、面白い旅を経験させてくれました。

そして、Berlinからそのまま、友達の25歳、ついでにその年に55歳となる友達のお母さん、60歳となるお父さんの誕生日も一度に祝う、家族総出のbig誕生日パーティーに出席してきました。きりの良い数字がそろうと、こちらでは大きな祝い事となるようです。老若男女(←皆頑張ってその場で噛まずに言ってみて下さい)の集い。たくさんの人たちと話せて泊まりがけの楽しいpartyを過ごしました。

さて、こちらへ帰ってきて、ばたばたと荷物を日本へ送って、今日から違う友達の家へhomestayしに行き、週末にかけてDalarna地方へmidsummer festivalの祝いを長い冬を潜り抜けた夏の到来を祝い酔いしれるsweden人に交じって祝ってき、帰ってきてバタバタと部屋の掃除を済ませ、あっという間に日本へ飛びます(。・ω・)ノ゙

昨日母親に、いきなり「飛ぶ鳥後を濁さず!」とか言うメッセージをもらいました。
あぁ、そんなこと言われても濁してしまいそうだ・・(´□`。)。。

まぁ、悔いなく帰ります!

あと一回更新出来るかな?出来ないかな?
そんな心境ながらにとりあえずこのブログはこの辺で終えます^^

日本の皆さま!そちらの気温は、な、何度くらいなんでしょうか>_<?
やっぱりもう夏真っ盛りなのかな?

とにかく皆さまそれぞれ良い日々を暮らしていらっしゃいますように。
Har det bra!!


わざと東側と西側の景色で分けてます。
左が西側を歩いた時に取った写真で、右が東側を撮った時の写真です。
一番下の方も写真は、元あった壁の分けた境目をレンガブロックをなぞった直線上をなぞって歩いていた時の写真。
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どうか、この景色をその場にある景色全てだと思わないで下さい。
悪魔で私自身の目が捉え、感じたところでおろしたシャッターからこの写真たちは並んでいます。
何がその場の現実としてあなたの目や心に映るかは、あなた自身がその場へ行き、ご覧ください。

以下友達の誕生日パーティーにて。

たくさんの人たちが集まりました。以下含め他テーブル3つ。たくさんのプレゼントを受け取ってました。
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ゴルフをしました。みんなここで出会った最高のナイスGuysです。
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Moeへのプレゼントだと言われました。私こんなに飲めません。
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写真、以上!

あと、一言Kちゃん、ゆkさん、以前に書いてくれた記事に対する返信を打ってます。また時間ある時にでもご覧ください。

ほな失礼!


を一つ、終えました。昨日。

今は、その次の日の朝。
何も聴きたくなく、口にしたくなく、静寂の中、また静かに泣きました。

こちらに来て気付いた事に、私は朝が大好きな時間なようです。

昨日は、今までにあった大きなものを欠いて挑んだステージでした。
一番のファンが、演奏を決めるその時も、練習している間も、客席にも、いませんでした。


母がいませんでした。


これが私が今回のステージをする上で、注目したい要素に掲げていたことの一つです。



「誰が何と言おうとお母さんが萌のピアノの一番のファンやからね。」

そんなこと、今になってもしょっちゅう言いながら、勝手なこの人は、10歳になるかならないかの子どもに、

「誰のためにピアノ弾いてるの?」

なんて、何でもないことのように聞いてきたりするのです。


そんな母は今回そばにはいませんでした。

「ピアノ弾いて弾いて!聴きたい!」
演奏会のときには、もういいって私が言うまで、
「喉渇いてない?」「忘れ物はない?」
って言ってずっとそばにいてくれる人。
ステージに向かう孤独とか、何を私はこれからするんだろうっていう迷いとか、たくさんの人に見られる恐怖感とか、そういったこと、いつも自然に取りはらってくれてた人。

変わりに、今回、私のそばにいたのは、ここで出会った人たちでした。
この機会に引き合わせてくれた、「nervous?」ってわざと聞いて笑わせてくれたり、少し考えた顔してたらすぐに何があったって聞いてくれる人だったり、雨だったのにタオル一枚で自転車乗って駆けつけてくれる人だったり、ピアノ聴きたいって、練習段階でも聴いてくれた人だったり、またmoeに会いたいって言ってくれる小さなladyだったり、しばらく連絡取ってないのにわざわざ会いに来てくれる人だったり、「めっちゃ行きたい」って散々言ってくれる、仕事頑張ってる人だったり。いつも会った後にはメールで一言くれる人だったり。

そんな人たちの顔見て行く度に、私のその時間に向かう恐怖は不思議と薄れていったのを、肌で感じれた今回の演奏でした。


誰のために弾いているのでしょう。


未だはっきりとはよく分かってません。でももう、分からないままでいい気がします。

一番のファンには言葉での答えを伝えられないままだけど、その代わりに渡せるものはまだまだあるはずなので。

音楽と繋がりながら生きてこれて良かったって、また思いました。

楽しかったです。


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今日ものっそ久しぶりに、図書館で新聞読みました。いつぶりやろう・・。

ほんなら、鳩山首相が退陣してました。

あぁ、そう言えば、今朝BBCでJapanese prime ministerがなんとかって言ってる時になぜか管直人が映ってて「ん?」と、思ったなぁ。。。

って!

おい!なんでこの短期間の留学期間中に首相が二人も変わるねん!

私は、結局鳩山政権がどんな動きしてるかを日本の放送局が伝えるニュースで一切見ぬまま帰国する事となりました。その場であったオーストリア人の子はすでにその事知ってました。「あれやろう?金やろう?」とか言って。家に帰ったら、先に帰国した友達からもその事を知らせてくれるメールが入ってました。
Sweden人もびっくりやろうねって。

支持率が下がってるとは聞いてたけど、、
えっと、何を日本はそんなにコロコロなっているんでしょうか?笑

様子が分かってないので、理解できません;
帰ったら、浦島太郎になる事必死です。いっそ浦島もち子に改名しようかな。

まぁ、そんな事は良いのですが、驚きもそのままに続けて新聞を読んでいてある事に気付きました。海外の事を伝える記事を読んでいた時のことです。ん~む。なんか違和感感じる。。。あ!

思います。新聞が伝えてること。
私は今海外にいて違う言語に触れて生活しているからここに注目したと思うんですが、別にこの事について限らず、他の全ての記事についてもきっと同じような事が言えるんじゃないでしょうか。ものすごく、そこには記者さんの目が入ってます。やっぱり、新聞はメディアであり、メディアですね。(前者と後者の意味違えて言ってます)そして海外について書いた記事については特に、何か読んでてしっくりと来ませんでした。私が読んだのはアフリカで今日本のNGOが取り組んでる取り組みについて書かれた記事についてです。何だかアフリカが、ここにいるよりもっと遠くの世界に感じる。大げさにいえば、夢の国みたいに感じる。いや、これはあまり良くない例えかな?つまりは、遠くに感じるんです。そこが。そして、もう少し詳しくその記事の内容について言えば、ものすごく、日本的な視点で書かれている。

って。いやぁ、めっちゃ当たり前の話ですよね。日本のメディアが伝えてるんですから。
日本から発信してるんですから。

そうなんですよ。当たり前の事なんですよ。
つまり、そこにはたくさんのフィルターがあるんです。
言語が違う。文化が違う。そしたら持つ視点が違ってくる。

決してここで日本のメディアの存在否定を言いたいんじゃありません。
日本のメディアがあり(もっと正確に言うと、日本の文化を持つある記者さんがいて)、そこから見た世界を、伝えている。なんとも言いようもない、単なる事実です。
で、私が言いたいのはここからで、その単なる事実から、ある気付いたことがあったってことです。

あぁ、私、日本に暮らす限りは母国語以外の言語から離れちゃいけんや。
自分が情報を掴むメディアを、日本語onlyにしてはいけない。
って、思いました。
ほんで、機会見つけては、やっぱり出かけていかなあかんなって、思いました。
国内でも、海外でも。他には例えば、手話を使う人と話したりして。さらにmicroなところで言えば、人と話したりして。

私の場合は。ですが。
結局、核心突いた事は言わないままなんですが、つまりは何をここで言ってるのか、分かります・・よね?


今日の一つ学びでした。ふむ。

今日は、4人の留学生とお別れしました。
図書館でたまたま会えた、前の家のコリドーメイトのオーストリアの子、日本人で同じfriend familyプロジェクトでお世話になった子、Educationの授業で出会ったトルコの子たち。

一歩外に出たら、これです。引きこもりたくなる。。

でも、もう、ふっきりました!
最近は、毎日のようにあるお別れの挨拶を、笑顔で行ってるんです。

"Hope to see you later!" "Bye!"

って。
本気で会いたいと思ったら、会いに行く。私なら。
で、今日が最後の日じゃない。お互い生きてる限り。

だから、もう良いんです。
出会えた事が大事ですね、きっと。

てな感じで、今日も学びの多い充実した日を過ごしました。

あ、あと今日ちょっと用事があって街に出かけたら、街でお祭りやってました。
教会(christian)主催の3日間に渡るworld festivalです。
言うなれば、他国や貧困に苦しむ人たち、環境の事を考える催し。

その写真と、あと数枚最近のこちらの様子を撮った写真載せます。

あ、ちなみに私の友達はそういった教会の活動が大っ嫌いだそうです。
今日の「へ~」でした。


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↑これ夜23時です。

良い週末を!
Har det kul veckoslut!