さかしら伊呂波50撰(2)「ゐ」 世阿弥 | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

ヒイヒイ音をあげながら、懲り性もなく、回文短歌に取り組んでいます。偉人をテーマ、イロハ順に、きょうは「ゐ」…

[ゐ] 世阿弥
居黒みて つがもなき世の 夕焼や
  冬の佳き肴(な)も 買つて見ろ九位(くゐ)

——ゐぐろみて つがもなきよの ゆふやけや
   ふゆのよきなも かつてみろくゐ

———扇子(せんす)さきがつっかえるような狭い部屋で能の吟味なんかしているあなた、たまにはおいしいものでも買いなさいよ。
  〽世の中は、太平無事の冬の夕暮れ…
でござんすよ。能楽師の旦那(だんな)。

居黒む(いぐろむ):その場所いっぱいに住む。所せましと住む。
つがもなし:つつがなし、を強調した語。①途方もない。ばかばかしい。②たわいない。とるにやりない。③はなはだよい。
九位(くい):世阿弥が分けた能の芸の九段階。それを論じた書。
肴(な):酒や飯のおかず。副食物。さい。
世阿弥(ぜあみ):世阿彌陀佛、室町時代初期の大和申楽結崎座(やまとさるがくゆうざきざ)の申楽師。父の観阿弥(かんあみ)(觀阿彌陀佛)とともに申楽(さるがく)(猿楽とも)師。現在の能また歌舞伎の祖形(そけい)を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流(かんぜりゅう)として現代に受け継がれている。通称は三郎。父の死後、観世大夫。世阿弥陀仏が略されて世阿弥と称されるようになった。「世」の字の発音が濁るのは、足利義満の指示によるもの。旧字体では、「世阿彌」。

「ゐ」を使う日本語はほんとうに少ない。「ゐぐろむ」と「ろくゐ」を見つけたときは天啓だと思いましたよ。
「居黒む」なんて都営アパートにひっそりと住むアタクシに対する皮肉かネ、ホント。「腹黒し」なら思い当たるところもいくらかあるようで…混濁の世の空気を93歳まで吸っていりゃ、そりゃあ鼻も肺も腹も黒くなる道理でござんすよ。してみると、「天啓」でなくて「天刑」のほうかね、クワバラ-クワバラ…きょうは暑いぐらいだネ。