さかしら伊呂波50撰(2)「を」 西行 | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

回文短歌(逆読みしても正読みと同じ文になる短歌)を、偉人をテーマにイロハ順に作っています。きょうは「を」まできました。

[を] 西行

惜しめども 行春執るは 悔ゆるなる       
  逝く春とるは 悔ゆ求めしを
———をしめども ゆくはるとるは くゆるなる
    ゆくはるとるは くゆもとめしを

———いくら惜しんでも春も又過ぎてゆくのです。惜春(せきしゅん)に執着するとは、なんとも思い切りの悪い自分、どうしようもないグズ男ですよね。

西行法師(さいぎょうほうし):ねかはくは花のしたにて春しなん そのきさらきのもちつきのころ (『山家集』・『古今和歌集』)。意味、「桜の花が咲いているもとで春に死にたいものだ。それも、(釈迦が入滅したとされている)陰暦の二月十五日の満月の頃に」。

 西行は桜を心から愛していて、彼の著作の中に桜にまつわる歌が多く残っています。そのなかで最も有名な歌が右に掲げた歌です。
釈迦の入滅を日本や中国では「二月十五日」と定め、涅槃会(ねはんえ)が催されます。西行は出家した身であるため、春の中でもとりわけ その時期にこの世を去りたい、と思い定めたのでしょう。西行は願い通り文治六年(1190年)の二月十六日にこの世を去った。そのことに藤原定家や慈円はいたく感動しました。
偶然でしょうけど、われわれも「へえ~」と感動します。
わたしはもう1年先にします。だって、これが終わらなければ心残りしますので。
冬も温暖化そっちのけで寒いことです。毛布に丹前を重ねて膝掛けしているのにまだゾクゾクするのです。転寝していてもくしゃみで目が覚めるのです。ゆっくり昼寝させてくれえ~