[と] キェルケゴール
動(どう)なしが 死など珍(めづら)に 聞(きこ)し召し
濃き韮(にら)摘めど なじか死なうと
——どうなしが しなどめづらに きこしめし
こきにらつめど なじかしなうと
———物事に動じない常にどっしり構えている人が、一体どうしたことだろう、「死」に囚われるようになり、一方では強壮剤にニラを摘んだりしながらも、一方では死ぬ方法を考えたりしているのです。
動無し(どうなし):【形容詞】ク活用。動揺しない。反応する様子が無い。
聞し(きこし):①「聞く」の尊敬語。お聞きになる。理解なさる。②「言う」の尊敬語。おっしゃる。聞こし召す:メスは「見(み)」の尊敬語。関心をお持ちになる。
なじか:【副詞】ナニシカの転。どうしてか。疑問・反語の意。
キェルケゴール: デンマークの哲学者、思想家。実存主義の創始者。
「死に至る病とは絶望のことである」といい、いくら考えても「死」によってもたらされる絶望を回避できないし、それは神による救済のみが信じられるとした。
これはキリスト教の、信じれば救われるという信仰とは異質であり、また世界や歴史全体を記述しようとしたヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史には還元できない固有の本質があるという見方を示したことがユニークであった。
「ひと、それぞれ」とか「ひとはひと」ということですね。最近は「多様性」などという。カルト性を払拭できない宗教に結び付けるところが前近代性ですね。「哲学」の限界は証明不要という自己矛盾にあるように思います。どうせ人間が造ったものなら、「神」ではなくて「数学」を信奉すべきだと思うのですが……
いやあ暑いですね、ご同輩。俳句ではアイスクリームもアイスキャンデーも、ひっくるめて「氷菓」といいますが、これは少し大雑把じゃないでしょうか。いやあ暑い暑い。