歌仙「霽の巻」の句解を試みました。(その35) | ouroboros-34のブログ

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句解35霽・こがれ飛

   おもひかねつも夜る((ママ))の帯引(おびひく)    (前句再出)
   こがれ飛(とぶ)たましゐ((ひ))花のかげに入(いる)    荷兮

挙句前(あげくまえ)の花(はな)ノ(の)定座(じょうざ)です。歌仙の中で最も重きを為す場です。芭蕉41歳、荷兮は37歳で尾張蕉門のまとめ役、医者。重五が亭主を務め荷兮が編集して「冬の日 尾張五歌仙」としてまとめました。

荷兮も酔ったふりをして「たましひ」をカッコつけて「たましゐ」とする。現代の人は仮名遣いの誤りだとしますが、それは思い違いで、字面や連綿など墨跡の
美的観点から意識的に変えている場合がほとんどなのです。

「こがれ」の語彙から、この句も恋の2句目とする説が多いのですが先述のようにれは誤読だと思います。
露伴は「西行山家集、あくがるゝ心はさても山ざくら散りなん後ぞ身にかへりなむ。この歌を踏みて、前句の恋のをかしみを巧みに花に添えて作れるは、流石に荷兮力量ありといふべし」と言っているのは(前句を恋の句としている点を除いて)肯(がえ)んじ得る指摘だと思います。つまり荷兮は西行好きの芭蕉に西行所縁(ゆかり)の句を挙句に所望(しょもう)したに違いないと思うのです。芭蕉は得たりやおうと期待に応えます。それは次の句解で。この句の私の句解は、

———満開のときはあの花がきれい、この花が素敵とあちこち気移りがして落ち着かなかったが散るのを目前にしたら我に返って花の暗い負の部分に気が付いて粛然とした。

いよいよこの句会もおひらきですね、と心残りがあるようですね。さて次は最終回。


   こがれ飛(とぶ)たましゐ((ひ))花のかげに入(いる)  (前句再出)
   その望(もち)の日を我もおなじく    芭蕉

芭蕉のトリです。同じ気持ちだと言っているようですね。

コロナ禍にもウンザリですね。お達者で!