句解19霽・うれしげに
五形菫の畠六反 (前句再出)
うれしげに囀る雲雀ちり〱と 芭蕉
(注:「ちり〱」は「ちりちり」と読んでください)
……悄然としているどころか凹んでいない、したたかな近江商人の土性骨をここに見た芭蕉はしてやったりと……句にしたのが上の句でした。
一見して不審なのが「ちりちり」という擬態語でしょう。ヒバリは「うれしげに囀っている」のではないことはよく知られていることです。むしろ逆で縄張り宣言であって他のヒバリを威嚇しているのです。第一、ヒバリはチリチリとは鳴きません。ギイーチョチョチョと鳴きます。留鳥で三春の季語。揚雲雀は晩春なので夏の季語としている歳時記もあります。草雲雀はヒバリではなく秋の虫の名前です。
菜花が晩春なのでヒバリは菜の花畑のほうが蓮華草より似合うと思いますが芭蕉はれんげの畠に付けました。が、「うれしげ」と「ちりちり」が合いそうに思えません。芭蕉はウラの意味を知ってやはりウラの意を含めたのです。
———空の高みで雲雀がしきりに囀っています。(オモテ)
———高いところでわずかな賄賂で喜んでいるお奉行はいまでこそキラキラとした光の中に御座るが…。(ウラ)
さて、このくだりは終わりですが、正平の影武者の正体は、この句に馬脚をアラワシた…という話へ、
狂句木枯らしの巻初折6句目
日のちり〱に野に米を苅 正平
———キラキラした光の中で米のなる草を刈り取っている。
ちりちり:①縮むこと。②皮膚が暑さ・冷たさに刺激されるさま。③キラキラ。
つまり「ちりちり」はヒバリの鳴き声ではなくて、空の高みでヒバリが太陽に照らされているさま、のことというのがウロの解釈です。(③のキラキラ)季語「雲雀」の本意は鳴き声ではなく垂直に上昇(下降、落ちる)ことにあるのです。
なお、散散(ちりぢり)と濁れば、ばらばら。で別の詞。
正平:尾張の人で小池氏と称した?! 芭蕉を中心とした連句の会では謎の人物とされている人です。じゃあ架空の人物として、誰の仮名(かめい)でしょうか。狂句こがらしの「あの正平」は「実は私だよ」と芭蕉が暗示したのが、この「チリチリ」だと思います。
「正平」は、和歌の「よみびとしらず」の役割を演じていると思います。
さて次は、
真昼の馬のねぶたがほ也 野水
これもウロの解釈は、幸田露伴や安東次男の解釈とは大違いです。
「ねぶた」は「眠た」のことですがどういう意味でしょうね。古注はすべてごくフツーに解釈していますが、果たしてそうでしょうか。——挑戦してみてください。