歌仙「霽の巻」の句解を試みました。(その12) | ouroboros-34のブログ

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句解12霽・紅花
  朝月夜双六うちの旅ねして    (前句再出)
  紅花買みちにほとゝぎすきく    荷兮

連句では、句を付けるとき季節を変えるときは「雑の句(無季の句)」を間にはさむようなことをします。「月夜」は秋、「紅花」は夏ですから本当はあいだに雑を介して転季しなければなりません。ここの秋から夏への急転は異様です。月の座の引き上げ割り込みが急遽行われたのでしょう。うちひしがれている杜国の二度にも亘る「月の座」持ちという破格の待遇とともに異様です。このあと死刑宣告をうけることになりました。

さてこのシーン、信楽から常陸の旅籠まで飛んで紅花買い付け人の話になります。
  あはれさの謎にもとけし郭公    野水(「狂句こがらし」の巻)
———突然、もののあわれを感じたがどうしたことだろう。あ、郭公の声だ。
「深山隠れの郭公」の本意により、荷兮の「ほとゝぎす」の句意は
———行商人はホトトギスにもう夏なんだなあと気づかされるのです。

前句「旅ね」の縁の付けです。
安東次男は例によって前句の「双六」に引っかかり賽の目ピンからキリまであって、ピンは信楽でキリが紅花仕入れの生産地の最上あたりか、など詮索しています。紅花の産地を述べることに急で、「ここまで調べた評者はいない」と嘯いています。天狗咄もこう露骨だと烏も鼻白んでしまいますよね。

野水は順番が杜国のすぐあとなので、いまは我慢しなさいと「忍ぶ」を匂わせて「ホトトギス」を出したのです。歌人は歌枕にするほど「しのぶ」が好きですが、俳人も教養の基準である「うたごころ」があることを示すために本歌取りに始まってホトトギスの句を量産しました。

すこし雑談になりますが、「しのぶ」には二通りあります。
ひとつは「忍ぶ」四段動詞。ガマンするほう、もう一つは「偲ぶ」上二段動詞。懐かしく思うほう。やがて両語は混用されるようになり、現代では、四段と上二段の両方の活用を持つめづらしい語となりました。ば・び・ぶ・ぶ・べ・べ(四段);び・び・ぶ・ぶる・ぶれ・びよ

日本語では、「ホトトギス」と「しのぶ」には切っても切れない縁があり詩の鑑賞には真っ先にこのことに思いを致さねばならないことを再確認して次に移りましょう。
さあ、これはどういういみでしょう。上の説明でもうおわかりですね。こういう付けは遣句(やりく)といってあまり評判がよくないのです。べた付ともいいます。平凡な付で底が浅いというわけです。

 しのぶまのわざとて雛を作り居る   野水