筆と集そこはかはこそ富士と蝶
———ふでとしふ そこはかはこそ ふじとてふ /
そこはか:其処は彼。兼好法師『徒然草』の冒頭の言より。
筆を擱いてできあがったものは「蝶」だったが、無念無想で描いたこの「蝶」こそが、まさに霊峰富士に匹敵する大傑作なのだよ、と自画自賛するのでした。
あさの洗面。歯を磨いてうがいして洗顔と順が決まっている。
嗽の水を手のひらに取って口に含むはずが顔にバシャっとかけちゃった。
いや顔の驚いたことか驚くまいことか。いきなり顔に水をかけられたものだから、いっぺんに目が覚めちゃった。
モーニングアクションのマニュアルを逸脱したのだからオール自己責任ですわな。
ボケが始まって意志と行動がマッチしなくなってきている。トンチンカンではなくてハンチントンです。一生踊り続けなければいけない「赤い靴」ですかね。あれは印象深い映画でしたね。
もう2月が終わったのですねえ。うかうかしていられない気分です。
兼題の「蝶」はしられているものだけで2万しゅほど、地球上で見ないところが無いほどどこにでもいるそうです。蛾と蝶は同じ属だそうで、都合何万種になるか不分明の昆虫です。これを三春の季語とひとくくりに片付けるのも乱暴なハナシです。モンシロチョウは初春、揚羽蝶は初夏…という具合に個体ごとに季語分別すべきではないでしょうか。
俳句の季語は植物など丹念に拾い上げられてうっかりすると二重季語に落ちるほどなのに動物・鉱物は極めて大雑把です。ヘンな文芸ですねえ。でもそれで好きで別れられないのですから、ヘンなのはこちらのほうですねえ。もういっぺん貌を洗おうっと。