2017-10-19週の第182回兼題〈水涸る〉の俳句文法研究部に、「水涸る」か「水涸るる」か、また、「水涸れ」はどうなんだ?という質疑応答がありました。
すでにひでやんさんが記事にしてくださっていているので、付け加えることはないのですが、少しばかり。私見をまじえて述べたいと思います。。
俳句としては、複合語の〈水涸る〉は、4字で座りが悪いので(「水涸れる」という口語に引っ張られて)、「水涸れる」の文語体終止形が「水涸るる」でよさそうな感じがなんとなくします。
しかし、これは連体形なので必ず後に「体言」がこなければなりません。
また、文語では、別の重要な用法があります。
まとめると、動詞の連体形は
1 本来の使い方。体言が直結するかたち。
椽側に棒ふる人や五月雨 子規
ふる…フ・ル ラ行四段 連体形:フ・ル 「人」を修飾。
2 単独で(体言がつかないで)詠嘆的に文を終止する。
萍や池の真中に生ひ初る 子規
初む…ソ・ム マ行下二 連体形:ソ・ムル
夏井いつき先生は、この形について、下七末尾の動詞(助動詞)が連体形で終わる場合は、上五の体言にかかる、とした。
例1 四天王像の眦水涸るる/ あ~すけ
添削後:四天王像の眦水の涸る 理由:「水涸るる」が上五(「四天王像」)を修飾すると見ることはできない。
例2 動かざる煙草火ひとつ川涸るる/ 楠えり子
添削後:動かざる煙草火ひとつ川の涸る 理由:同上。
例3 五百年仁王の眼下池涸るる/ 佐川寿々
「涸るる・五百年」としても面白いので、「修正せず」ともよい。
3 体言が省略された形であり、体言と同等の資格を持たせる。
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮 芭蕉
とまりたる…トマリ+タル(完了の助動詞「たり」の連体形)が体言化している。(副助詞「や」は、体言およびそれに準ずる語に付く)
4 文語句の場合、係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」を受けて句を終止させる。
古文と和歌には多いが、俳句では近時、「や」を除いて少ない。
長持へ春ぞくれ行く更衣 井原西鶴
万緑の中や吾子の歯生えそむる 中村草田男
「や」は切れ字ではない。係助詞である。
5 体言が省略され、更に係助詞が省略される。
ライターの火のポポポポと滝涸るる 秋元不死男
「滝ぞ涸るる」の係助詞「ぞ」が省略された形である。
「滝ぞ涸るる」は、「涸るる・滝」を倒置することによる、強意の方法をさらに強める働きがある。その係助詞を省いたものである。詠嘆の気配および係り結びの特徴の、例えば、「や」「か」は疑問の意を含む。
「ぞ~涸るる」の形式をさらに強調するために「ぞ~涸る」にした句がある。
唐太の天ぞ垂れたり鰊群来 山口誓子
「ぞ~たる」が文法的に正しい。しかし、更に意を強めるために作為的にこのような断定語法を用いることがある。
係助詞は、係る動詞の終止・連体同形が多いこともあって次第に衰退している。「や」は、この衰退とともに本来の意味が薄れ、俳句では切れ字、動詞は終止形と解されるようになったと思われる。