九月一日の朝、記す。 | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

   九月一日の朝、記す。

東京新聞の一面に毎朝載る「平和の俳句」。

   平和とは稲の花咲くようなもの   稲葉 千尋(71)三重県四日市市

〈夏井いつき〉「平和とは」という定義は「稲の花」の映像へ切り替わる。「稲の花」の開花は豊穣の秋の実りの約束。「稲の花」は平和の花なのだ。

金子兜太・いとうせいこう選のこの「読者の投句」欄ももう三年を越えるのではないだろうか。
大方がスローガンがポスターの標語めいて、戦争中の嫌な気分を逆に思い起こさせて、その平和を希求する姿勢には共感するもののどうにも好きになれなかった。

そこへ夏井いつき先生の登場である。

「俳句」とはどういうものか。「俳句」に託す平和の思いとはどのような形であればひとのこころに共感を呼び起こすことができるのか。

答えが今朝の「稲の花」だ。

季語の美しさは祖語の受け継ぐ風土愛だ。千五百秋の瑞穂の国は日本の美称、「稲の花」を夏井いつき選の第一句に据えた平和観に感動を覚えた。

すこし長くなるが、別項の記事をそのまま転載しよう。

裾野広げる自分の使命

  9月のゲスト選者
  夏井いつきさん

九月の「平和の俳句」は、ゲスト選者として参加した俳人の夏井いつきさん(60)が、レギュラー選者のいとうせいこうさん(56)とともに選考に当たった。中学の国語教諭だった夏井さんは、今も俳句を教材とした言葉とコミュニケーションの授業「句会ライブ」を全国の小・中・高校で続けている。選考会でも事務局の記者たちに、選んだ句の味わいを解説してくれた。
 本日掲載の稲葉千尋さん(71)の句〈平和とは稲の花咲くようなもの〉では、初秋の季語〈稲の花〉に着目した。「〈平和とは〉で始まり、平和を直接何かに例える直喩の形を取っていますが、例えた〈稲の花〉は目につきにくい地味な花。〈平和〉も目を凝らして初めて気づくようなもの、咲かないことには実りはないという寓意を込めた比喩、寓喩が隠れている。うまい作りかたです」
 今年還暦を迎えた夏井さんは六十代でさらに広く、「俳句の種まき」を展開したいという。「俳句が富士山のように高くて美しい山であり続けるのに必要なのは、豊かで広い裾野」。その裾野を広げるのが自分の使命だという高い志を夏井さんに植え付けたのは、師匠の黒田杏子さん(79)だという。
 黒田さんは今月開催の選考会から、八月に退任したレギュラー選者金子兜太さん(97)の後任を務める。(文責・矢島智子)


寒さで震え上がるような九月明けになった。

冷蔵庫の西瓜が誰からも見向きされないで角から崩れている。

恒例の月初回文俳句。
九月は長月/セプテンバー

  長月記那覇のこの花木桶(ききつ)かな

 ながつききなはのこのはなききつかな
  この花、梯梧(でいご)かな?
那覇の秋の花ってなんだろう?

沖縄に平和が来なければ、どんな平和も嘘っぱちだ。

沖縄から兵器がなくならなければ、平成の次は再び昭和になる。

俺たちよ、それでいいのかな?