いつもはマンガを見ながらひょいひょい口に放り込む南京豆が数えて食べることになった。
六個まで、と医者にいわれたが、ラッキーナンバーの七個にした。
貴重な一個、一個を噛みしめる。最後の一個。
それが指先であえなくつぶれた。
殻だけで実がなかった。
落花生異生義歯のかげで噛む ウロ
ダッキショウ(落花生。薩摩方言。季。「秋」)を平凡な男(異生イショウ【仏】凡夫のこと。)がぼそぼそ食べている。義歯(入れ歯)があわないのか歯茎に当たらないように慎重に噛んでいることだ。
仏教用語を使ってみた。有難味が増した。
意味はわかったが、仏教を知らないので皮相的な感懐しかわかない。
〈中国語がわかればもっと旅行が楽しめたのに〉と、いう例文が初級中国語の学習書にあったが、この句も同じだ。背景のコトバの事情がわからなければ ア、ソウ…ソレデ? でおしまいだ。
ホンで以て本格俳句から転じて「殻だけで…」のハナシのつづきに戻る。
実(み)が素(す)とは英訳すれば〈ミステイク〉 ウロ
実が素とは夏はナッツのミ・ス・テリー ウロ
すかたんを笑わばこそ、でありました。――― ス・ミません!