はじめての海外出張がコペンハーゲンだった。8 | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

HBH社からへとへとになってホテルのフロントに辿り着いた。ルームキーをもらい、エレベーターに向かう。

エレベーターの入口は日本のと随分勝手が違う。
横開きではない。一見、団欒室の扉を思わせる趣のどっしりとした樫の扉に頑丈な引手があるだけである。それを掴んで手前に引き開けるのだがその重いことといったらない。

ラウンジのソファに沈んでしばらく観察して間違いなくエレベーターのドアであることを確認してから再び取り組んだのだがどうにも開かない。びくともしない。
やっさもっさしていたらフロントマンが飛んできて待てというジェスチャをする。待っていると急に開いて客がふたり出てきた。ドアを押さえて控えていたフロントマンのどうぞという目配せで乗り込んだ。

そうか。エレベーターのケージが着いてないときはドアも開かないわけだ。
いやドアもすごく重かった。おりるときだって手首を捻挫しそうなほどに押すのだが一回目はびくともしなかったほどだ。
婦人がそばに居るときは紳士がドアを開けるマナーがあるが、レディの前で腰を落とし渾身の力を込めて「セーノ!」と両手でふんばるサマは見せたくない。――困ったことになった。

なにはともあれベッドに体を投げ出す。 ――やれやれ…
窓からクルマの騒音がひっきりなしに聞こえる。
疲れた。とにかく疲れた。あしたは早朝の便でスイス行きだ。

もう薄暗い。――すこし眠ったようだ。
首を回すとデスクスタンドの灯がぼんやりと卓上を照らしている。
白い封筒が見える。メイドがなにかコメントを寄こしたのかな?
封筒じゃなかった。ハンカチがきちんとたたんで置いてある。おれこんな白いハンカチは持ってない。え、なんだろう?
手にとったら紐がぱらりと垂れた。
ハンカチの正体は「ふんどし」だった。

《はじめての海外出張がコペンハーゲンだった》もここで8回を数える。
ご了解を得ておきたいことがある。それはこのシリーズがすべて事実の話であるということである。
これまでとても恥ずかしくてひた隠しにしていたことも、歳を重ねてきて平気になったこともある。歳を重ねてむかしのひとが懐かしくなったこともある。
デンマーク語やドイツ語の原語で表記をしたのは知識をひけらかしたのではなく奇をてらったのでもない。世界中の誰でもが見られるブログの性格上、誰かの目に触れて当時の方々の消息が知れたらいいがなとひそかに希ってのことである。当時失礼があったれば謝りたいと望んでのことである。従って実名で綴り実際の地名を明示しているのである。
重ねて述べるがこれはフィクションではない。ルポルタージュでもない。キリスト教でいう告解に近い。仏教の懺悔に近い。警察でいう自供に近い。半落ちに近い。桜吹雪はお白州の神妙有り体(ありてい)にちかい。濃すぎる味噌汁の塩屋に近い。ヰタ・セクスアリスにちかい。不動産屋のチラシの幼稚園に近い。
話がこんがらがったけれども芸人の与太噺に近い、と思って大目にみてください。

さて「ふんどし」の件だが、勿論、メイドのものではない。

クニを出るとき女房殿から訊かれた。
「あなた、どうなさいますか?」
「なに?」
「オビですよ。…下帯」
「おお、トクビコン、なあ」

犢鼻褌。ふんどしのことである。別に学術名というわけではないが、俗称でもない。曰く言い難し、だが、そう深く追及する問題でもないからここはすうっと通り過ぎようではないか。
うちの田舎では成人男子の通過儀礼として兵児祝いをする。

兵児(へこ)とはふんどしのことで「成人」の元服式みたいなもので男子の特権の確認する仕来たりといえばわかりやすいかもしれない。
以来西洋猿股を穿いたことのない越中専用おとこが、西洋に行くことになったのである。

褌の歴史は古い。
ふんどしはかつて細川越中守忠興がはじめたものとされるが万金丹といいおわら節といい、さすがに文化の中心地にあってこそ生まれた逸品であった。辞書で〈越中〉を引くと最初の行に「越中ふんどしの略。」とでてくる。すなわち富山県の旧称の代名詞にふさわしいイグノーベル賞級の誇るべき発明品であることは疑うべくもない。――フンドシバンザイ。

さてこの「三尺」だが、あ、これも「褌」の異名でその他にも、まわし・たふさぎ・ふどし・とうさぎなどいろいろいいかたがあるが、三尺というのは「六尺褌」1間のながさのふんどしの半分に由来する。
「六尺」は祭囃子に観るアレである。「三尺」は短い分、半値で足りるがはずれやすい。俗に《当てとふんどしは向こうからはずれる》という。緩みやすいのが唯一の欠点である。ゆるふん、という。

「ふもじ、ねえ。外国で、もしものことでお古を見られたら具合が悪いから用心のために新調するか」

たびたびの注釈で申し訳ないが、〈ふもじ〉というのは話題にしているふんどしのわが家の隠語である。
〈文字言葉〉といって品よく婉曲に表現する女房詞のひとつで〔~もじ〕という言い方がある。ユカタを「ゆもじ」、髪を「かもじ」、アナタを「そもじ」などという。恥づかしを「おはもじ」。これは歌舞伎で観た。
上京したての頃、食堂で聞いたコトバに社員の同僚が言った「クロモジちょうだい!」がある。帰ってから辞典を繰ったがこれは文字言葉ではなかった。

「慣れない出先で洗濯もナンでしょうから、勿体ないけど使い捨てになさいますか」

女房殿は和裁が巧みである。
歌人の土屋文明の叔母から裁縫を習ったとかでこれまで浴衣は無論のこと着物羽織丹前…和服は全部手縫いで仕立ててくれた。そして今回新たに出張に際して一日一本として五日分五本、まっさらのふんどしを用意してくれた。さらし木綿は出張準備金からの出費である。費用内訳になんと書いて会社に提出したかは覚えていない。

メイドがデスクの上にたたんで置いてくれたのは紛れもないわが下ばきである。あまりにも白くきれいだったのでハンカチと見まちがえたのである。ふんどしは新しいものより何回も水をくぐった古いもののほうが着慣れして当たりがいい。

ふんどしと仏像は古いに限る。

昨夜湯上りにふんどしを穿き替えて、元のは穿き捨てにする不分律どおりデスクの下の屑籠に捨てた。それをメイドはご親切にも拾い上げたたんで電気スタンドのわきにそっと置いた。
一日使用したとはいえ新品だ。捨てるはずがない滑り落ちたのであろう。紐がついている。何に使うのか明らかではないが東洋では風呂敷という包む道具があるという。紐がついているが特に大事なものを包むのに用いるのであろう。――と、お女中が考えたとボクは考えた。
大事なものを包むには違いないが入国審査で申請するようなものではないちょっとしたものを包むのだ。メイドにどう説明したものか、くよくよ考え始めた…

嗅いでみたが大したことはなさそうだったのでビニールに包んで旅行鞄の隅に押し込んだ。

空港の免税申告でこれなんですか? と訊かれたらどうしよう。
「べつにあやしいものじゃありません。医療関係者ならすぐわかりますが、《 T字帯(テーじたい)》といいましてね、肛門の手術のときに患者が、そうそう、ご婦人もつかうようですよ、分娩のあととか…」

ふ文字も出世したもんだ。
とうとうメディカルサポーターになっちゃった。