春の水とは 補1 | ouroboros-34のブログ

ouroboros-34のブログ

こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

「春の水とは… 7」でこのシリーズは閉じようと思いしが、寄せられた御免糖(コメント)に白犬(尾も白い)ものこれあり、擱筆取りやめになりたる仕儀にて、相変わりませずのお引き立て宜しくお願い奉りそろ。

  花に酌む鬼一匹やむかう向き    長谷川 櫂

「むかう向き」が正しい歴史的仮名遣いでは「むかふ向き」であろう、というウロの主張に対して、ティーグル・モリオンさんから次のコメントがあった。

「向こう」の旧仮名表記ですが、現状大変に多く「ムカウ」が行われているようです。私自身も「向こうへ廻る」「向こう側」など「むかい」の音便のように理解出来るので「ムカウ」表記は適当に感じています。しかし、「ムカフ」もまた非常にしばしば目に入るのは間違いなく、国語学的当否は別にして、現時点ではどちらか一方を完全に誤用としてその使用を断罪するのは早計かと思います。

アペリチフのように私の食欲をそそるとてもすばらしいご意見です。
さて、私の反論ですが、とっかかりを〈「むかい」の音便のように理解出来る…〉に求めることにしました

ここでいう音便は、「ウ音便」しかないのですが、
ウ音便はハ行バ行マ行およびナ変の連用形に「て」「たり」がつづくときにあらわれます。例。 歌ひて→歌うて 飛びて→飛うで(旧)
撥音便はハ行は無くバ・マ・ナ変のみ。   飛びて→飛んで(現)
従ってあなたがおっしゃっている音便はウ音便のことだろうと思うわけです。

だいじなことがあります。
「向かう(ふ)」というコトバの性格です。
さっき言いましたように「向かふ」は、ハ行四段活用の動詞ですが、
音便は連用形「向かひ」に「て」「たり」がつづくときだけです。
では「向かふ」側、「向かふ」へ廻る、のようなときはなぜ連体形なのでしょう。
「いまお宅に向かう」の向かうは動作する動詞で四段活用、
「向こう岸」「向こう側」…など名詞にくっつくのは形容詞型化した元動詞なのです。だからこちらは出身の連体形が残っているのです。
もうおわかりのように、「向こう向き」はもとの「向かふ」の連体形「向かふ」でなければなりません。ここは穏便にというわけにはいかないのです。

というのが私の説ですが、もうひとつダメオシをしておきましょう。

花過ぎといふさざ波の中にゐる    長谷川 櫂

「いふ」はなぜ「いう」じゃないのでしょうか。同じ《花醍醐》から採ったものですが同じ集なのに同じ扱いではないのは統一感を損なうのではないでしょうか。
この「いふ」も「向かふ」とおなじ動詞の「いふ」と形容詞型に移行した「いふ」とがある、と私は考えています。

名詞を動詞化するのが現代語のひとつの傾向です。
例えば、「戦争スル」の反対語として「平和スル」のように。
どこにちがいがあるのでしょうか。そうです。「戦争ヲする」、「平和ヲスル」じゃなくて「平和ニスル、平和ニナル」ですね。

ふだん、そんなことを考えています。