『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」 -4ページ目

『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」

心が「こって」はいませんか?「 MindExpander~心のストレッチャー梅」 あなたを心の水平線に御案内します。あなたの心を解きほぐし広げます。空を行く雲のように悠々と往きたいものですね。梅はAC、引きこもり、アルコール依存症他アディクションからのサバイバーです。



『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



心のフィルター(mental filter)とは

物事を捉えるに当たり、複雑な状況のうちの

「或る特定の側面」にのみ着目してしまい、その他の側面を無視してしまう傾向を言います。


鬱になってしまうような方の場合、多くの方は「心のフィルター」をつかって「物事の否定的な側面」ばかりに焦点をあてる傾向があるようです。


何か一つ良くない事があると、そればっかりに心が向いて、それ以外の状況には眼が向かなくなります。


良く言われる例では、「仕事上で肯定的な評価を多く得ているにもかかわらず」

「ただ一つの否定的な評価」に心の焦点をあわせてしまい、

その他多くの、自分への肯定的な評価を見逃してしまう、というような物事の捉え方です。


選択的抽出 (selective abstraction)という言い方もします。

「ある事にだけ捉われる」ということで言えば、この言い方のほうが判りやすいかもしれません。


 ともあれ、これじゃ生きてて嫌になりますよね。

 「物事の否定的な側面だけを取り出して見てしまうのですから」。


 自分への「嫌なところ捜し」「駄目なところ捜し」と言えます。

 

 辛い方はこれをしているかもしれませんね・・・。


 まずは、このような拙いブログですが、ご自分が知らずにやっている、

「自分自身と、世界や現実の捉え方」について知るヒントにして下されば感謝です。


 次回に続きます。


     梅谷青空



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一般化のしすぎ(overgeneralization)とも言います。


例えば、一度でも上手く行かない事があると

「いつもこうだ・・・」と考えてしまいます。


ある特定の出来事を、

多くの出来事の単なる1つとしてみないで、一般的な特徴として見なします。

少しでも不幸な事があると、「いつも自分はこうだ、どうせ自分は・・・」と考えてしまいます。

一回の失敗なのに「いつでも自分がやるとこうなる」と思ってしまいます。

この捉え方だと、嫌な事が繰り返し起こっているように感じてしまいます。

たった一度の相手の反応で、それが全てと考えます。

例えば、恋人がたまたま職場で気に入らない事があって、自分につれない対応をしたとすると、「もう自分に対する愛情が無くなったのだ」と考えてしまったりします。


 認知の歪みは10のパターンに分けられてはいますが、それぞれのパターンが互いに重なっているところもあります。

 前回掲載の「二分割・全か無か思考」とも似たところがあるでしょう。


 実際に「認知の歪み」が出る時には、いくつものパターンが合わさって出ていることがあるようです。



         梅谷青空


 






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全か無か (all-or-nothing thinking)

又は「二分割思考、両極端な思考」とも言います。


この世の物事、出来事は「白」か「黒」とはっきり分けられるものではないですよね?


ところが「白か黒か」はっきり分けなきゃ気がすまない。

そういう「白か黒か」、二つに一つという見方をしてしまう事を

all-or-nothing thinking、全か無か思考、二分割思考、両極端な思考、白黒思考、と言います。

「ベキ思考」とも繋がって行きます。


うまくいったか、全然だめか、そのどちらかしか認めない考え方です。
100点でなければ0点と同じ。


 僕が10年位前に知り合った男性は「自他共に認める完璧主義者」と自分でおっしゃる方で

 この「全か無か思考」をお持ちの方でした。

こういう考え方の癖をお持ちの方は
「完全に○○である」「○○であるべきだ」ということは実際にはありえないのに、
自分の「~ねばならない」という目標地点に無理に自らを合わせようとし続けます。


 これは辛い生き方です。

「たった一度の、他人から見れば何てことない失敗で、俺はもう駄目だ。」となります。

 そして、「そういう自分の思考」に対し無自覚に生きてるのですから
「周囲にも、《自分が求めている、自分基準の完璧》を要求しやすくなります。」


 自他共に認める完璧主義者・・・。

その実は、「全か無か思考に無自覚に追い立てられて」

 自分を生き辛くし、他者にも同じ事を要求している・・・。

他者と自分とが交われる「白でもない黒でもない、グレーゾーン」を容認出来ないだけなのです。

 自分が「こんな風に物事を見、捉えてるかも知れない」と感じたら
ひょっとすると、「白か黒か」「全か無か」という思考をしているのかもしれない、と「立ち止まって考えてみましょう。」

TPOによっては、「こうじゃなきゃいけない」って事は無いかも知れません。


 日常で何事もなく過ごしている時には広く「グレーゾーン」をお持ちの方でも、

ストレスがかかった状況が長く続いたり、極限状況に近くなるほど
知らずしらずのうちにこのような考え方になりがちになります。


 極限状況では「その人の持つ私的論理、その人固有の物事の捉え方」が出易くなるといいます。

「いつでも~でなければならない」

「完全に~であるべきだ」

「決して~であってはいけない」
こういう考え方をしていないでしょうか。

それじゃあ、疲れてしまいます。

そして上記のように、疲れると、更にこの傾向に拍車がかかります。


これらの事を知り、まずはご自分をゆったりといたわってあげられればいいですね。


 次回、「過度の一般化(overgeneralization) に続きます。


          梅谷青空









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認知とは
 その人の物事の捉え方を指します。

 その意味で五感を通した「知覚」も「認知」に含まれます。
 「知覚」は何かを感じることですが、その感じ方は人により千差万別です。
 

 例えば同じ映画を見ても、感じ方は人それぞれです。

 つまり外界からの同じ刺激に対しての「知覚」は、

 それぞれの人の「生きてきた経緯・経験」全てに影響されているというわけです。

 「認知」というのは「知覚」に加え、思考や感情の動きなどのより広い精神活動も含まれます。

 「~と意識する」、「~だと思う」、「~は怖い」というような言い方をする時、・・・これも「認知」の一つということです。

 このように「認知」という言葉は、かなり広い意味を持っています。

 「認知」という現象を包括的に研究する学問が「認知科学」で、心理学や脳科学、情報理論など、脳や心に関する研究の全てが含まれます。


(後に、もともとは「記号論」という学問で扱われていた「スキーマ」という概念についても、認知療法と絡めて解説いたします。)



 認知療法の創始者であるアーロン・ベックは、うつ病患者の物事のとらえ方(認知)が普通の人とは違っている事に気付きました。

 誰にでもあるような小さな失敗を大げさに考えて、ずっと引きずって悩み続けたり、
その小さな失敗によって他の全ての事も駄目になると考えたりします。
 物事がうまくいっても、仕事で成功しても、喜ぶことができません。

 きっとすぐに悪いことが起きるとか、これはまぐれで本当の自分ではない、などと感じてしまいます。

 こういった「うつ病」患者特有の認知の仕方を、「認知の歪み」と呼びます。

 代表的な認知の歪みが以下です。


全か無か思考(all-or-nothing thinking)

一般化のしすぎ(overgeneralization)
心のフィルター(mental filter)

マイナス化思考(disqualifying the positive)

結論の飛躍(jumping to conclusion)



誇大視と過小評価(magnification and minimization)
感情的決めつけ(emotional reasoning)



すべき思考(should thinking)
レッテル貼り(labeling and mislabeling)


自己関連づけ(personalization)



 次回からこの10パターンについて解説します。
     梅谷青空




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認知の歪み②をお届けする前に、以前お届けした

「恵みを数える」の②をお届けします。


まずは①の肝を再録します。


恵みを数える事は、上記の事柄

(アサーティブを学び自分の意見を伝える事、それ以前に、傷んでいる方は御自分の感情を認め、感じていく段階を踏まねばならないこと)

とは別に、並行しつつ、今すぐに誰にでも出来、どのような段階の方にもお薦め出来る事です。


現実(対人関係に於いて)をシンプルに捉えます。

(嫌だな、苦手だなと言う相手に対し)

「この人は、今、こういう人。 でも、それが全てではない。」


そうですよね?

相手を「こういう人」と認識してるのは自分の心です。


自分の捉え方にも歪みがあるんです。

「自分のものさしが絶対じゃないんです。」


例えば、相手は素直に「気にしないで」と言っているのに

自分の方で「そう言うからには裏がある」と勘ぐったりします。


「頑張ってね」と、ただエールを送ってくれた相手に

「今迄だって頑張ってきたんだ。これ以上どうしろというんだ!!」と

弱っている方は悲しい憤りを覚えたりもします。


天真爛漫な相手に自分の影を見て、断罪しているかもしれません。


「在るがままを受け容れる事」に心を向け、相手の素晴らしいところを見出す事に気持ちを切り替えましょう。

苦手な人、嫌だなと思う人でも、必ずその方からいただいている事があります。

《受け容れ難い現実についても同じです。》


災厄の顔をした祝福、祝福は災厄の顔をしているという側面があります。


無理をせずに、少しつつ、「この現実と他者を在るがままで受け容れ」

「良く考えたら、これってありがたいことだよな。」、と



そう「恵みを数えていく」と

《或る日、世界がまったく違うものに見える日が来ます。》

感謝する事こそ命の泉と気付く日が来ます。

《幸福は、いつでも、その場で自分が決められる。》


  ・・・いかがでしょうか?

 「恵みを数える」と言うのは、

 単に、その日あった良いことを数えるという事ではないとお解かりいただけたでしょうか?


 恵みを数える事とは

《受け容れ難い現実について、自分の認知からの「自動的」な意味づけを離れて》

《「自覚的」に、そこに自分と全体にとって益となっているかも知れない面を見ていくこと》です。

 だからリフレーミングに通じると書きました。


 しかし、恵みを数える事はリフレーミングよりももっと「ダイナミック」な捉え方なのです。

 これはいずれ「恵みを数える③」でお伝えします。


恵みを数える事で、受け容れ難い現実に違う側面を見ていくことは


《環境や運命が「主」で、自分は「従」》という「受け身の生」から

《どのような逆境にあろうと、心的態度と行動を自分が選択して行く

 己が真に人生の主人公である「能動的な生」に繋がっていくのです。》


 だからこそ、

《或る日、世界がまったく違うものに見える日が来ます。》

感謝する事こそ命の泉と気付く日が来ます。

《幸福は、いつでも、その場で自分が決められる。》

と書いたのです


 次回は「認知の歪み②」をお届けします。


  

        MindExpander 梅谷青空