『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」 -5ページ目

『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」

心が「こって」はいませんか?「 MindExpander~心のストレッチャー梅」 あなたを心の水平線に御案内します。あなたの心を解きほぐし広げます。空を行く雲のように悠々と往きたいものですね。梅はAC、引きこもり、アルコール依存症他アディクションからのサバイバーです。

 

『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



自分を受け容れ、自分を好きになり、やりたいことを見つけ、自分の人生を存分に生きるには、自分自身の「認知の歪み」ということについて知る必要があります。

 人は「その人特有の物事の捉え方のパターン」を持って居ます。

 それが、その人の感情をコントロールしているという考えがあります。

 

 (アドラー心理学では「感情は、相手役と目的を持って、当人が使用している」と考えますが、この事についてはいずれ詳しく述べます。)


 ここでは15回くらいに分けて認知の歪みのパターンについて記して行きます。

 「何にもやる気がしない」「生きてることに疲れた」「朝、目覚めたくない」「自分が嫌で嫌でしようがない」・・・。

 こういう憂鬱な気分に支配され、今を味わえず、未来に想いを馳せる事が出来ない苦しみに在る方には、

 「否定的に物事を捉えてしまうような《思い癖》ともいうべき、考え方の癖、認知の歪み」があります。

 これから、10のパターンをあげて行きます。

 自分の「物事を見るフィルター」「色眼鏡」「考え方の癖」について知る上での参考にしてください。


 次回に続きます。

                梅谷青空



『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」




ご自分を責めないで。


僕からのお願いです。


痛みはかけがえのないもの。


              梅谷青空




『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



もしも体がなかったら、心だけ、精神だけの「自分」ってあるでしょうか?

成長するでしょうか?


肉体があって心もあります。

自分もあります。

成長もあります。


では

もしも他人が居なくて、独りっきりで自分ってあるでしょうか?

 成長はあるでしょうか?


他人が居るから「自分」が居ます。

成長もあります。


人の悩みは人間関係に尽きます。

(更に突き詰めれば、自分自身との関係と言えます。)


でも、他人が居て自分が居る人間関係がなければ

「自分とは何なのかが解りません」


自分という言葉、漢字をご覧下さい。

「自らを分ける」です。


人は、人との関係の中で「自分を知り、分けることで自分になります。」


鏡の世界に住む私たちは、人との関係の中で

「自分を知ることと、自分を自分として確立させる事」を求められています。


では何のためでしょう?


人は何のために生まれてきて、生きるのでしょう?


人それぞれに答えが違うでしょうね。

同じ人でも、10代、20代、50代・・・年齢と共に、

様々な人生経験を踏まえるごとに違う言葉が出るかもしれません。


それでも敢えて僕はここに書きたいのです。


「お金」が目的ではないでしょ?

そりゃ手段にはなります。


「生き甲斐」ですよね?

「やりたいこと・夢」でしょ?

なりたい自分を見つけ、そうなる事でしょ?


・・・それら全部ひっくるめて、

僕はこう感じます。


《自分を愛し、人を愛するため。

 それがどんなやり方、生き方でも、

 「夢に向け」自分の命を「自覚して使う」ため。

 その人の生きた軌跡は必ず誰かに勇気を与えます。

 勇気=命です。

 自分の命を使うことで、誰かに命を接ぎ木するため。


 連綿たる我々の命の歴史に参加するため。

 

          愛するため。》


 全ての悩みも苦しみも、人間関係に帰納し、それは自分を知り、自分になることで、人を愛するために在ると僕は感じるのです。

 夢に向け生きることもそうではないでしょうか。


 いかがでしょうか?

 

 MindExpander梅








『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」


《全部自分から始まります。》


誰かに愛されたいと願うなら、

まずは自分が自分を愛せるようになることです。


自分自身を嫌いな人が、他人との良好な人間関係を造ることは難しいですよね。


いつもくたびれてるか、愚痴ばっかりか・・・。

共依存関係に陥りやすい相手、

つまり「自分を嫌いな人」との関係を引き寄せやすくなります。


他人との関係の以前に、自分との関係の修復なのです。


「自己受容」

「自己肯定」

「自己信頼」に向けて、このブログは綴られています。


物事を見る眼の歪み「認知の歪み」についても同時に綴っています。


 目指すところは第一段階として


《①欠点や失敗のある自分を在るがままで受け容れ。

 ②過去惨めだったり、傷ついたり、

 誰かを苦しめた自分を赦し、

 その過去(或いは現在)を「傷」「屈辱」ではなく

 「かけがえのない財産」と見なせるようになる。》


 自分を愛し、好きになることが、人を愛せる人への道です。


 自分を大切に出来る人が、人を愛せる人です。


 人を愛せる人が、人から愛される人です。



 当たり前のこと②に続きます


               MindExpander 梅










 









『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」






僕が26くらいの時ですから昭和50年代の終わりでしたか・・・。

 後にサンデー毎日に始まり、マスコミから取り上げられて社会問題になったカルトがありました。
 カルトと言っても、実態は霊感商法。

 「実証寺」といいました。
 確か高野山と関係が在ると自分たちは言っていましたが、高野山からは新聞で大々的に全く関係がないとの告知が出されたのを覚えています。

 実は僕・・・当時の千葉県松戸市、武蔵野線の新松戸駅前の雑居ビルにあった支部に行ったことがあるのです。

 この実証寺が問題として社会に知られる以前には、日曜日の新聞の折り込み広告には
「あなたの悩みを解決します。」
「難病が治った」
「登校拒否の子供が立ち直った」
 など、
 この手の「供養する事で人生が好転する」という商売が横行していました。
 この後で統一教会なども問題になりました。

 僕は初回相談料3000円の広告を見、引きこもり、苦しい胸の内を何とかしてもらおうと行きました。
 当時の僕はカウンセリングなんて、この世に在ると知りませんでした。

 8畳ほどの灯りを消した畳の間に通され、正座して待つ事20分
(後で考えて思うのは、全てマニュアルどおりの接待だったでしょう)

 尼さんが入ってきました(格好だけです)。
 一応法具を使い、速九字を切りました「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」と。

 入るなり僕を見もせず、しわがれた声でこう言いました。

「うむ。 たくさん連れて来ておるようじゃな。」

 この後約一時間、僕は
「自分が嫌で仕方がない。 みんなと同じように出来ない。
 人を羨ましい気持ちで毎日身動きが取れない。
 屈託無く自分を生き、周りの人たちと感謝し合えるような楽しい関係で生きたい。」
 というようなことを主訴として話しました。

 偽尼は首をかしげ、じ~~~~~~っと僕を見
「どぉぉも、おぬしの言っておることは良く判らん・・・。
 彼女が欲しいのではないのか?
 お金持ちになりたくはないか?

 良い車に乗りたいじゃろ?」

 これで寺だ、尼だというのです・・・だんだん腹が立ってきました。
 
 そして決定的な一言・・・。

「お主の父親方の4代前の先祖が、どうやらその頃
 女子(おなご)衆に随分と悪さをしてきたようじゃな・・・。
 おぬしの後ろにその宿業が張り付いておる。」

 判らぬ事をいい事に、あろうことか、このいい様・・・。

 自分の道を求めて真摯に来ている一人の人間相手にこの言い草。

 僕は唇が震えだしました。

 偽尼は続けました。
「供養する事じゃ。」
 僕は返しました。
「そんなに熱心ではありませんが親父もオフクロも仏壇には毎日手を合わせております。」

 「そんなもんじゃ駄目なんじゃ!!
  きちんとしたやり方があるのじゃ。」

 「帰ります」

 「これ、待たれぃ! 今帰ったらおぬしの人生は真っ暗ぞ。
  供養するのに幾らまで出せる。」

 あっけに取られました。
 これ以降20分は、幾らまで出せるか、今決めなければ遅いの一点張り。

 後にサンデー毎日で「セールスのマニュアル」があったこと知りましたが、全くそのとおりのやり口でした。


 僕は帰りに雑居ビルの一階に「実証寺」と書いて掲げられていた巨大な看板に
 「鼻をかんだティッシュをぶつけて帰ってきました。」
 今でもあの偽尼が言った言葉は忘れられません。

  「それが見えない世界というものなんじゃ。」

  安易に「見えない世界」など言うものを信じ、それを語るのは

 ご本人の心の拠りどころ、余裕の元にするならいいではないかという意見もあるでしょうが、

 こういう「苦しむ人間に付け込むどうしようもない悪」を助長させる事につながります。

 死後の世界や、神秘体験を信じることは
「ご本人自身が白か黒の世界に居るわけで」

 賢明で、人間を愛していく道を選択する事を望む者は

 《見えない世界が、
  在る、無い、など言う二者択一の問いの立て方からは離れるべきです。》

 それには着目すべきではないのではないでしょうか。

  今ここにあり、見える世界でありながら、私たちの近視眼の故、置き去りにされてきた

  「全ては繋がって、生かされて此処に在ること」

 に眼を向けて行きたいものですし、僕は生涯ここからはじめて行きます。

  

      MindExpander梅