数年の〇〇話。 | 桜野園 お茶で一福、心ふぅわり

桜野園 お茶で一福、心ふぅわり

水俣で、無農薬や自然栽培の緑茶、紅茶、ほうじ茶を家族でつくっています。
そんなお茶づくりと、日々の徒然。
ちゃみさんのあげまん道から学び実践から生まれる気づきも満載でお届けします。


センチメンタルな新婚旅行までについては、
前回書きました。

今回は、帰ってきてからのお話。

旅も最後になったころ、
西に向かう車中で
まだ私たちは複雑な気持ちでした。

それでも帰ってきて、
夫はさしおり、家の増築を始めました。

私たちは、両親と半同居ですが、
私たちの住まいには台所がなく
トイレも、外まで行かないとありませんでした。
水道もなかったので、それが不便でした。

なるべくお金をかけないように、
ベランダがあったところに、
夫が一人で、大工仕事をして、台所をつくりました。

木材は、家の木で、
一番高かったのは、トイレの便器でした^^;


妊娠もしていたので、トイレと台所ができたのは、
とても嬉しかったです。

ただ、収入的には非常に厳しい状況で、
肥料代を払うのにも、農協の保険を担保にお金を借りて、
お茶代が入ったら、返済するという自転車操業。

自分たちや、特に子供の洋服やおもちゃ類は、
すべて譲っていただいたもの。

お茶はあるので、
できるだけ、物々交換。

夫の妹さんたちが、
私を気遣って、よく買い物や食事に連れて行ってくれました。


嫁いだ翌年に紅茶づくりを始めることになりましたが、
製造の機械もなかったので、
声をかけた先から、中古の機械をいただいて、
それをすべて自分たちで運び、据え付けました。


お茶を商品化して、売り出すようになったものの、
パッケージだけでは、お茶はなかなか売れません。

試飲サービスをとにかくして、
お客様にお茶の味を知っていただけるように
取引先を回りました。

そんな時も、高速はもちろん使わず、
行った先では車中泊。
先方が気の毒がって、泊めてくださったことも^^;


そんなこんなの暮らし。
食べものだけは、ご近所様や親戚、全国の知人に
色々いただいたりして、豊かでした。

働いても自分たちの収入がないという状況で、
何とかしたいという原動力になりました。

マイナスからの出発は、
きついことも多かったですが、
今は良かったなと思っています。

それに、またもしも、そういう状況になったとしても、
何とか乗り越えていけるだろう、という変な自信もあります。

次は、この数年後の転機について☆