OTSURUちゃんの四方山話 -19ページ目
母はずっと前から
S会館の互助会員になってんねん
お金払いこんであるし
会員になってるから
ここでお葬式出来るで
全部やってくれるっていってはったからな
と 以前から聞いていた
しかし
聞いていただけで詳しい状況を聞く前に
母は何にもわからなくなってしまった
ほんま直接 会館に
聞いてみなあかんよなあ
といいつつ何年か過ぎていた
それが
2~3か月前のこと
何の用事で行ったかは忘れたが
妹の所に行って
雑談をしていたら
妹が
「こんなものがあるんよ」と
何年か前に
S会館から母に届いた
「会員様への観劇のお誘い」という
郵便物があった
宝塚歌劇団の観劇
平成27年ごろのものだった
OTSURUは
なんとなく
「今だ!」って気がして
すぐにS会館に
スマホで電話をしてみた
郵便物のあて先は
旧住所のまま
転送されてきたもの
会員番号も何にもわからない
「何にもわからないんですが
母が会員になっているといっていたもので・・」
母の名前を言っただけで
「間違いなく会員様でございます」
という返事だった
詳しい契約形態を聞くと
平成17年から
平成25年まで
月々3000円の100回払い
30万円のコースで
平成25年に満期になっている
30万円は
かかった葬儀の費用から
最終的に差し引かれるというシステム
会員特典の料金で
すべてやっていただける
対象は1名
母が先か父が先かはわからないが
どっちかが利用したら
契約は終了となる
とにかく間違いなく
会員であった
何かあったら電話一本で
駆けつけてくれるという
会員になっていることさえ
「ほんまかいな」と疑っていたから
「ほんまやったなあ」
と
夫と妹は顔を見合わせていた
しかし・・・
・・・・・・30万円??
「葬式30万円では出来へんやろ
お母さんいっつも
葬儀代はいらんで!
全部払ってあるからな!
ぐらいの勢いやったよなあ
会員としての前払い金やんか
でもまあ
ほんまにはいっててんな」
母がこうして
互助会に入っていてくれたことは
今のOTSURU達に
安堵感を与えてくれる
大きな贈り物だ
葬儀場の候補として
ノープランではなくなっていた
本日は
即位の礼のため
今年一回限りの
祝日となった
朝から
テレビにくぎ付けとなり
「正殿の儀」を終えられて
赤坂御所に戻られるところとなった
OTSURUは
この5年あまり
神職としての勉強の中で
たっぷりしっかり
今上陛下の祖となる
天照大御神からの
天皇の存在について
叩き込まれてきた
古事記
日本書紀を基本として
日本の成り立ちから
天照大御神
その子孫である
神武天皇から今上天皇迄
延々つながる天皇の在り方
その年代や
世の中との関わり
第二次世界大戦後
大きく変化をした
日本の象徴としての
天皇陛下
そういった
日本の歴史
またそれ以外に
神職が身につける
装束や小物の数々
即位の礼で
陛下が身につけていらっしゃる装束は
神職の装束の最高位の物であり
こういうことについても
学習科目の一つであったため
平成の即位の礼の時とは
全く違った見方で
テレビを見ていた
式典に関わる
高御座を代表とするものなども
勉強してきたことが
実際に目にできる貴重な瞬間だった
今上陛下は
OTSURUよりも一つ年上で
OTSURUの同級生には
浩宮徳仁(なるひと)様という
お名前にちなんで
なるちゃんという子がいたため
何か身近に感じていた
OTSURUが子供の頃は
浩宮(ひろのみや)様と呼ばれ
そのあと
皇太子さまになられ
ご結婚をされ
遂に天皇になられた
しかし
何よりも
テレビから映し出される状況は
日本の古くから伝わる
伝統をしっかり受け継いで
代々継承されてきた
荘厳な儀式
それを
世界中の賓客が
起立をして
正面から眺めている姿に
日本人としての誇りを
心から感じた
日本は
天皇を中心とする
こんな素晴らしい
伝統がある
天皇制が続いていう間は
日本は安泰なのではと
感じた
様々な問題は
今日はとりあえずあとにして
夕方から行われる
饗宴を楽しみにしている
2019年9月16日
妹から電話
病院からの連絡で
父が昨日から発熱し
明日17日の退院は無期延期となったとのこと
ふーーーー(ため息)
そうかあ
やっぱり
まあ こんなことの繰り返しなんだろうなあ
明日 妹が主治医との面談予定
2019年9月17日
午後1時
妹から
ラインが来た
おじいちゃん
かなり弱っています
今日のレントゲン結果は
前は片方の肺炎だったのが
今は両方になっています
高熱が続いて
酸素吸入は9リットル
鼻にチューブを入れていました
今朝から食事なしで点滴しています
熱が出るたびに
だんだん様態が悪くなっていくようだ
夕方
夫と病院に行ってきた
父は夫に
声にならない声で
「〇〇 しんどい 助けてくれ」
「しんどい」
と訴える
夫は
この期に及んで
はじめて父から
名指しで弱音を聞き
多少のショックがあったようだ
父は夫には
何時も憎まれ口というか
上から命令するような
ちょっと小ばかにするような
そんな言葉しか
会話がなかったように思う
そんな父から
「助けてくれ」
と言われた
帰宅後
その父の言葉を
自分で繰り返し
「あんななるまで
生きとうないなあ
ほんま 死なれへんのはつらいなあ」
と 何度も口に出していた

