九州定年旅行で巡った石造物です。
現在と違い昔は山間部も人が多く住んでいたことは頭では理解していますが、どうしてこの場所にこんな大規模なものを作ったの? と思ってしまいます。
大分県臼杵市深田の山中に岸壁を利用して彫られた石仏群があります。修復処理がなされ、61体の石仏全部が国宝指定されています。
平安時代藤原氏の流れを汲む九条家が臼杵荘を所持していました。九条家は比叡山延暦寺と深い関係があって、高僧と仏師を臼杵荘に送り摩崖仏を造立し、同時に摩崖仏を本尊とする天台宗の大寺院満月(まんがつ)寺を開きました。荘園が崩壊し武士の世(鎌倉時代)になっても彫られ続けました。
当時は満月寺が本尊として管理していたようです(満月寺境内にはまた興味深い石造物がいくつかあります)。
阿蘇山の噴火でできた凝灰岩なので、柔らかく脆いので修復処理したのち、建屋に保護されています。こういうのが4カ所あります。
極楽浄土をあらわす阿弥陀如来。
こちらは別の箇所の阿弥陀如来像ですが、大分表情が違います。こちらは過去・現在・未来の過去を表しているそうです。
平安時代後期から鎌倉時代前期まで延々と造立され続けたそうです。当時はかなりきらびやかな摩崖仏だったのでしょう。
九条家は都(平安京)にいて、臼杵に荘官を置いたと思われますが、九条家の人々は臼杵摩崖仏を造らせただけ? それとも下って目にした事があったのでしょうか?