上野村楢原の白井集落に隠れキリシタンの墓があるというので伺ってみました(11月23日)。
白井集落の祭りにちょうど見えていた上野村文化財調査員今井興雄さんに出会い案内していただきました。
黒沢家は白井関所の関守の番頭(ばんがしら)を代々勤める家系で、藤兵衛はその2代目番頭を勤め、隠居後は7軒あった米問屋(佐久からの米が1日十石=1500㎏運ばれて来た)の元締め的立場だった人物です。黒沢藤兵衛(穀屋藤兵衛)1723年、享保8年没。
「圓寂覺峯淨祐居士冥位」と彫られている以外何も彫られていません。過去帳と照らし合わせると藤兵衛の墓とわかります。
この墓碑がなぜ隠れキリシタンのものと推測されるかですが、塔身に透かし十字が入っている所です。文献的資料はありません。
「冥位」とあるのは今まで見たことがありません。ネットで調べても出てきませんでした。
こちらは藤兵衛の墓のすぐ近くに立っている読誦供養塔。
願主は黒沢淨祐覺峰(藤兵衛)です。1693年(元禄6年造立)。
今井興雄さんの資料(末尾)によると、右から縦に次の3行が彫られています。本来太字の部分は「吉祥」になるはずですが、「吉利」になっています。
「諸願成就」
「奉眷読大乗妙法蓮華経壱千部」
「円満諸縁吉利」
5代綱吉の時代から切支丹に統一されましたが、それまでは吉利支丹とも書かれていました。
なお、隠れキリシタンに興味のある人に人気の「永島恂二:関東平野の隠れキリシタン。さきたま出版会、1998年」には、上野村楢原白井のものは載っていません。永島さんが当地にお見えになる話はついていたそうですが、その前に病に伏されてしまったと今井興雄さんから伺いました。
参考
今井興雄:正光寺と白井の吉利切支丹。上野村教育委員会、平成22年。