より詳しい情報・新しい知見をお望みの場合「石造物を巡る」をご覧ください(2024年2月24日追記)。
徳川家譜代の酒井家は前橋藩主として江戸幕府を支えました。
本日は⑤~⑧と⑯について。
◎5代前橋藩主酒井忠挙(1720年没73歳)
4代藩主で父である大老酒井忠清が失脚した影響で江戸城内での活躍はできませんでしたが、藩政に尽力した名君だそうです。厩橋城を前橋城に改めました。
酒井氏歴代墓地の中で唯一石灯籠が4本立っています(他は2本)。家臣・藩の民に尊敬されていた証なのでしょうか。
◎初代伊勢崎藩主酒井忠寛(1703年没38歳)
幕府に認められ忠挙は弟忠寛に伊勢崎藩として2万石を与えました。父の失脚により幕政にはあまり関われませんでしたが、名君であることは江戸幕府も認識していたそうです。
忠寛の戒名:顕崇院殿雄安泰英大居士
伊勢崎藩酒井氏の墓は初代忠寛・6代忠良の2つがこの寺にあります。
故従四品羽林将酒井雅樂頭忠挙府君之墓と彫られているように思えます。
忠誉挙の戒名は調べられませんでした。
◎6代前橋酒井忠相(1708年42歳)
5代忠挙の隠居に伴い家督を継ぎましたが、3か月後に死去。
戒名:永昌院殿光運源穆大居士
墓石には従四位下酒井雅樂頭忠相君墓と彫られています。
12歳で家督を継いで、祖父忠挙の貢献を受けながら藩政を司りました。
従四品酒井雅樂頭親愛府君之墓と彫られています。
戒名はわかりませんでした。
◎8代酒井親本(1731年27歳没)
1716年(享保元年)に7代藩主酒井親愛の養子となり、1720年(享保5年)親愛の隠居にともない家督を継ぎ、1731年(享保16年)没。
墓石には故従四品拾遺酒井雅樂頭親本府君之墓と彫られています。
戒名:台雲院殿明応源光大居士