長楽寺(太田市世良田町)内の徳川義季公累代墓。
徳川(得川)義季は平安末~鎌倉初期の武士で、長楽寺を開きました。
(太田市観光物産協会HPよりお借りしました)
新田義重の4男で徳川氏(得川氏・世良田氏)の始祖。新田義貞は遠縁になります。
徳川家康は出自の正当性を説明するために、徳川義季の末流だとしました。源頼朝・足利尊氏などと出は同じだとアピールしたかったのでしょう。
長楽寺を優遇し、徳川秀忠が建てた初代日光東照宮(現世良田東照宮)を徳川家光が大規模に造営し直した(現日光東照宮)とき、初代を長楽寺境内に移し保護しました。
徳川氏の墓と伝わる宝塔。
相輪部分が失われていますが、現存部の高さは1.65mあります。
(系図コネクションHPよりお借りしました。図中親氏【徳阿弥】が徳川氏の祖とされています)
国指定重要文化財で1276年に建てられました。徳川義季の没年は1247年(寛元4年)とされていますから、30年近く後に建てられた義季or頼氏の供養塔か子孫の墓と考えられるでしょうか。
同じ敷地内に多数の鎌倉時代に造立されたと思われる石造塔がたくさんありました。
※ 徳川義季公累代墓地は文珠山古墳(前方後円墳)の後円部にあるそうです。