横谷左近が建てた十王堂~お墓の疑問102~ | のめしこき日記

のめしこき日記

「朝日新聞のウソ」は当該記事を削除させ、教育現場の名誉を
回復するために定期的にアップします。

石造物に関しては宜しかったら別ブログをご覧ください。
「石造物を巡る https://nomeshikoki17.fc2.page/」

 横谷左近(幸重)の屋敷跡に隣接し、十王堂があります。

 十王堂。

 

 この右手擁壁上にあります。

 左手の煙抜きの乗る民家、レールを挟んで擁壁の切れる右手に横谷左近屋敷跡があります。

 この線路は八ッ場ダム建設に伴うJR吾妻線付け替え工事による廃線区間で、現在ののめしこきの職場アガッタンのレールになっています。

 墓石マニアにとってはヨダレが垂れる景色。

 墓ではないけれど、十三仏供養塔。

 嘉永7年(1854年)のもの。

 

 こちらに興味を持ちました。

 こういう家型の墓標は武士のもののようです(五輪塔や宝篋印塔もありますが)。

 寛延元年(1748年)、宝暦2年(1752年)のもの。

 武田菱が誇らしげに彫られています。

 きっと横谷左近さんの末裔の墓なのでしょう。

 この大きな家形墓標の両背後には

 小さな家型墓標が2基ありました。枯葉をかき分けてってのは失礼なので、現状を撮らせていただきましたが、この2基の方が古い墓標であることは十分推測できます。さすがに戦国時代の横谷左近の墓ではないでしょうが。