横谷左近(幸重)の屋敷跡に隣接し、十王堂があります。
十王堂。
この右手擁壁上にあります。
左手の煙抜きの乗る民家、レールを挟んで擁壁の切れる右手に横谷左近屋敷跡があります。
この線路は八ッ場ダム建設に伴うJR吾妻線付け替え工事による廃線区間で、現在ののめしこきの職場アガッタンのレールになっています。
墓石マニアにとってはヨダレが垂れる景色。
嘉永7年(1854年)のもの。
こちらに興味を持ちました。
こういう家型の墓標は武士のもののようです(五輪塔や宝篋印塔もありますが)。
寛延元年(1748年)、宝暦2年(1752年)のもの。
武田菱が誇らしげに彫られています。
きっと横谷左近さんの末裔の墓なのでしょう。
この大きな家形墓標の両背後には
小さな家型墓標が2基ありました。枯葉をかき分けてってのは失礼なので、現状を撮らせていただきましたが、この2基の方が古い墓標であることは十分推測できます。さすがに戦国時代の横谷左近の墓ではないでしょうが。