横谷左近屋敷跡~猿飛佐助のモデル~ | のめしこき日記

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 もみぢ茶屋のすぐ近く、アガッタンのレールを越えると、横谷左近(幸重)の屋敷跡があります。
 

 この家の背後になります。吾妻の民家らしく屋根の上には煙抜き。

 現在の真田人気は真田十勇士によるところも大きいと思いますが、その中の猿飛佐助のモデルになった人物が横谷左近(ヨコヤサコン)です。

 明治になるころ横谷さんは長野県へ引っ越し、近所の方が土地を引き継ぎ農地としていました。その後荒地(竹林)となっていましたが、今年2月に昨年地元の有志の方々が刈りました。すでに新芽が出ているのですが、7月ころに再度刈る予定だそうです。

  横谷左近屋敷跡は2段の石垣になっており、こちらはまだ刈られていません。しかし、こちらは石垣の上に大きな平場はなさそうです。

 

  横谷左近は犬伏の別れから沼田城を通って上田城まで真田昌幸の道案内人になって、真田昌幸から感状をもらっています。吾妻の地理・情勢に詳しいことから猿飛佐助のモデルになったと思われます。

 1枚目の図にあるように、横谷屋敷の背後の山には岩櫃城の出城である横谷城(雁ケ沢城)があります。

 横谷さんの末裔は上田氏に在住です。