真田伊賀守のイメージアップのために~沼田真田氏~ | のめしこき日記

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 のめしこきの子どものころは、沼田真田氏は民衆の敵みたいなイメージがありました。今は真田氏人気のため、沼田・吾妻地方では真田氏をアピールした観光振興を図っています。

 

 初代真田信之(昌幸長男、真田幸村の兄)・2代信吉(信之長男)・3代信政(信吉の弟)までは松代藩の分領でしたが、第4代藩主真田伊賀守信利(信吉の次男)の時に沼田藩として独立します。

(群馬県人なら誰でも知っている上毛かるた)

 そして、松代藩への対抗心からか実際より数倍の石高を幕府に申告し、きつい年貢を課しました。その結果、杉木茂左衛門の直訴などがあり治世不良により改易され、沼田城は破却されました。

(読み札裏面の解説)

 上毛かるたでは【天下の義人茂左座衛門】の札はありますが、沼田真田氏の札はありません。

 

 真田氏ブームですから、地域振興のために沼田真田氏のイメージアップを図らねばなりません(大きくでた:笑)。

 そこで真田氏の功績を。

 沼田市には真田用水があります。

 

 中之条町には真田間歩用水。

 水路が中之条の街中まで続いています。

 水があれば新田開発ができる。安定した稲作が営める。

 市街地に近づくにつれて

 徐々に水量を増します。

 こちらのご家族も真田間歩用水の恩恵を被っているのでしょうか。1年中農作業の合間の一服をしています。

 この用水によって、コメの収量がアップしたことでしょう。真田用水・間歩用水は真田信利の時代にできたものかはわかりませんが。

 

 最後に、悪名高い真田信利には以下の逸話も。

 財政難だった沼田藩主真田伊賀守信利は小渕喜右衛門から借金して大飢饉の救済を行った。

 水牢の刑を行うような藩主が、飢饉の折借金して農民を救うでしょうか? そして借りた金を返すでしょうか?

 茂左座衛門の直訴があったのですから農民が苦労していたことは間違いないにしても、池の薬師の水牢、百瀬の水牢は事実なのか?

 村請制度や五人組制度から考えるとちょっと無理があるように思いますし、用水事業や善導寺の釣り鐘の逸話からも、水牢が事実なのかのめしこきはちょっと懐疑的です。

 真田伊賀守の返済金で善導寺(東吾妻町)に寄進された梵鐘。

 

 苛酷な藩主として知られる真田伊賀守ですが、良い面もあった。

 これで少しは沼田真田氏のイメージアップになったかな(そんな大したブログじゃない? ハイ、その通りです)。