変わった囲炉裏~旧竹村家住宅~ | のめしこき日記

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 この囲炉裏は木を燃やしたのかどうか。

 

 のめしこきの知る囲炉裏は灰があってその中央で火を燃やしていました。この囲炉裏は漆喰みたいなもので固められています。ですから木というより炭を使ったのかも知れません。

 父方も母方の家も囲炉裏が切ってありましたが、3方はゴザ(あるいは板)、1方は土間につながっていました。

 竹村家住宅の囲炉裏は、土間の方にも囲いが渡してあり、こんな形のは初めて見ました。上級農家と貧農の違いでしょうか? 江戸と昭和の違いでしょうか? 彦部家住宅では座敷に囲炉裏が切ってありました。

 

 のめしこきは農業と囲炉裏の位置関係を愚考します。

 伯父さん伯母さんちのように農業をしながら生活するには土間繋がりの方が便利。仕事が終わって土足のまま夕食の準備に取り掛かれる。

 竹村家のような上級農民で農業をそれほどしなくてもよい場合は土間繋がりの必要性が薄れる。

 彦部家(郷士。武士待遇で農業と機織りを生業)はより農業との関係が薄れて、座敷の中に切ってある。

 民俗学・歴史学の専門家ではないので、たったこれだけの事例から好きなことが言えます。

 

 下水道につながっていない流し。ここに水をはって洗い(当時は油ものは少なかったでしょう)、下に廃水桶を置いたのでしょうか? 排水口があるかどうか見落としました。彦部家は土間の下に木の樋を外まで通してありました。

 

 台所。

 のめしこきの感覚では囲炉裏を囲んで皆で食事したでしょうから居間のように思いますが、呼び方としては「だいどころ」だったのでしょうか。それとも出来た食事はお膳に乗って「なかへや」あたりで食べたのでしょうか?

 

※ 本日は小千谷の角突き観戦で帰宅が22時前後になると思います。昨日の土曜まで仕事で週1000キロ走った後の往復260キロですから、体力が持つかどうか。それからお邪魔させていただくつもりですが、眠ってしまったら御免なさい。