中越大震災跡~山古志木籠~ | のめしこき日記

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 久々の角突き観戦です。今年の5月に小千谷の角突きを観戦しましたが、山古志の角突きは昨年の千秋楽(11月3日)以来です。
 早めに到着して、角突きの前に木籠地区の中越大震災痕を見学しようと思いました。芋川が土砂で塞がれて、水没した民家が残っている所です。芋川の上流に向かって進んでいきます。

 これは山古志・小千谷の一大産業の錦鯉の養殖池です。
 中越大震災によりせき止められて水がたまった池が数箇所ありました。
 地滑り痕の地肌がまだ見えます。
 地肌は見えなくなりましたが、木が生えていないところは地滑り痕です。

 2004年(平成16年)の新潟県中越大震災により発生した土砂崩れで、芋川が塞がれ木篭(こごも)と楢木(ならのき)集落が水没しました。

 この濁った池がその災害をもたらした痕で、下流側です。かつての橋の土台が見えます。

 上流側を望みます。結構大きな池になっています。また、上流の割には水が濁っています。

 先ほどの沼を少し上るとこの碑がありました。
 谷筋に建っていた家は土砂にせき止められた芋川に水没しました。
 上の写真のアップです。

 橋のすぐ近くにも。

 水没地区は国が買い上げて、今は国有地になっています。
 水没民家を見るのは辛いので撤去しようという意見もあったそうですが、山古志のリーダー的存在だった故松井治二さんは地震で水没した自宅を含む木籠集落を保存し、来訪者に被災体験を語り継ぐことが復興につながると主張して郷見庵を作りました。

 そこの老人に話を伺いました。震災のこと、角突きのこと。山古志特産のかぐら南蛮味噌を釜炊き米にぬったおにぎりをいただきながら。
 訪れたのは午前9時でしたが、すでにオートバイが1台、埼玉と東京の車が見学に来ていました。

 水没民家を見ていたら、まだ水の濁りが抜けきらない芋川に鯉が泳いでいました。
 
まわりの山肌に震災の影響が残っていますから、上流の割に水が濁っているのは、土砂の流出が続いているということなのだろうと思います。