脱9条のススメ    護憲・リベラルのための憲法9条講座 -16ページ目

脱9条のススメ    護憲・リベラルのための憲法9条講座

かつてガチガチの9条平和主義者だった私がその大矛盾に気づいてしまいました。
様々なテーマでリベラルの視点から、具体的・論理的に脱9条論を展開します。

どんどん日本が右傾化してゆく、とお嘆きのあなた。
右傾化という心配のタネは、憲法改正の動き、ですか。特に9
条に手を付けるなどとんでもないと。9条こそが争いに満ちたこの世界を永遠の平和に導く羅針盤であるのに、日本が世界に誇る平和主義の礎であるのに、と。

 


  しかしちょっと待って下さい。日本国憲法が発布されてから既に60年を過ぎています。

その間も世界中の紛争・戦争は止むことはありませんでした。

 

“それはまだまだ9条を世界に広める努力がたりないからだ”

  と反省をしてしまう前に、その謙虚さをちょっとだけ別の方面に向けてみませんか。  

すなわち。

  本当に憲法9条は今のままで良いのか、と。  

 ここでは護憲派の皆さんが信じて疑わない信念や主張を20項目あげて、もう一度事実に基づいて論理的に検証してみたいと想います。  

 

ちなみに、私自身、10年くらい前までは、この20項目を信じて疑わないガチガチの護憲派だったことをまずここに告白しておきます。そういう意味でこの講座は10年前の自分自身に捧げるものである、とも言えるものです。文中、護憲派の皆さんを“9条さん”とかヤユするような表現もありますが、そういうわけで、これは自分自身をもヤユしているということですのでお許し下さい。

 




↓気になる項目(下記or右列参照)から、自由に読み進めてみて頂ければ幸いです↓

 




 

【主張1】9条があったから日本は60年以上戦争をしないでこられた。

 


【主張2】コスタリカ・アイスランドなど、軍隊を持たない国は世界でもたくさんある。

【主張3】9条を改正するって?じゃあ戦争してもいいっていうのか。 

 


【主張4】憲法には“自衛のための武力行使”も認めてはならない。なぜなら、すべての戦争は“自衛”の名のもとに始められるからだ。
 
【主張5】たしかに自衛隊の存在は憲法違反だが、それでも9条がハドメとなって、戦闘行為への規制をかけている。
 
【主張6】自衛隊を国防軍に変えるなんてとんでもない。今のままで良いではないか。
 
【主張7】武器や軍隊があるから戦争をしたくなるのだ。

【主張8】紛争のタネがあったら話しあえばよい。外交が大事である。

 

   

【主張9】命が何よりも大切である。人殺しはいけない。自衛官になった若者だって人殺しをするために自衛隊に入ったのではない。
 
【主張10】もし侵略をされても、戦争は避けるべきである。白旗を掲げた上で非暴力・不服従で対抗すれば良い
 
【主張11】戦争の歴史をもっと学ぶべきである。日本はアジアの国々に酷いことをした。また日本の一般庶民もひどい生活を強いられた。徴兵により多くの人生が奪われた。この歴史を繰り返してはならない。
 

【主張12】軍備費に費やしている税金は福祉・教育などに回すべきである。

 

 
 

【主張13】憲法は国の法律の基盤であり、基本なのだから簡単に変えるべきではない。

   

【主張14】“平和憲法”の改正など言い出すひとは戦争好きの軍国主義者や右翼である。

 

 

 【主張15】9条改正などした途端、日本は軍事大国となり、アジアの国々に脅威を与える。そしてアメリカに追従して世界に向けて戦争を仕掛ける。


 

【主張16】日本はこれからも今までどおり9条を基軸とした平和外交に徹するべきである

 

 
 

【主張17】9条は世界に認められている。世界の1周前を走っている。世界が日本を見習おうとしている。

 

【主張18】もしも日本が攻撃されたらなどと考えることがそもそも間違っている。そのような最 悪の事態を想定するなどという事が戦争への道へと繋がるのだ。


【主張19】自衛隊も在日アメリカ軍もいらない。フィリピンではアメリカ軍基地を追い出して跡地に工場を誘致して雇用も生まれ、とてもうまくいっている。

 


【主張20】9条改正などしたら日本は徴兵制の国になってしまう。
 


 

【おまけ】 10年前の私との対話

 

 

 


【答え】

  9条・条文の論理的破綻について

“憲法9条があったから日本は70年以上戦争をしないで来られた” 
これぞまさに9条信奉者の基軸とも言える“主張”です。護憲派の学校のセンセイなどもしばしば生徒たちにこのように教えるようです。ただ現実の戦争というものを考えた時、これは2つ以上の国が“せーの”って同時に開始するわけではない。どちらか一方が仕掛けて、もう一方が受けて立って戦争が成立するわけです。

 そして確かに“仕掛ける側”としての戦争については憲法9条が日本政府の政策を拘束してきたという理屈は成り立ちます。9条があったから日本は70年以上戦争を仕掛けることは無かった、と。

 

 しかし“仕掛けられる側”としての戦争についてはどうでしょうか。

 

 日本に戦争を仕掛けようとする国があった時、日本国憲法9条が、その国の政策を拘束するなどということがありうるのでしょうか。もちろんNOです。憲法9条を掲げれば他国から戦争をしかけられることはない、などという理屈が成り立つなら苦労はしない。チベットも、ベトナムも、イラクも、リビアも、韓国も、戦後70年の間に戦争を仕掛けられた国は、さっさと憲法9条を取り入れれば戦争を仕掛けられることはなかったことになる。もちろんそんなことはありません。

 

 つまりは、“9条のおかげで日本は戦争をしないでこられた”など、論理的に言ってまったくの幻想であるということです。

 
   中国は日本の憲法9条を守っているのかな?

 

 例えば現在中国は尖閣諸島を自国の領土であると主張しているわけですが、それならさっさと上陸して軍事基地を立てるなり資源開発を進めるなりすることも出来るわけです。過去にはチベットを武力により併合し、最近でもフィリピンと領有権を争っていた南沙諸島を米軍が居なくなるやアッというまに占領してしまった。なぜ尖閣諸島には上陸しないのでしょうか。上陸により武力衝突が発生すると日本国憲法9条に抵触してしまうから中国は手を出せないと、そうお考えですか?チベットやフィリピンは憲法9条を持っていなかったから中国もエンリョなく手を出したと、そういうことですか?


習近平さん達が尖閣上陸作戦の計画を練りながら、“うーん、最大の課題は日本の憲法9条だ。これさえ無ければすぐにでも軍艦乗り付けて上陸できるのに”などと頭を抱えている姿を想像するとこれはもう完全にコントの世界です。 


   9条の定理・・・世界で戦争を仕掛けるのは日本だけである

 

 もちろん護憲派の皆さんもこんなコントの世界を真面目に想定しているわけではありません。

 

 こうして見ると憲法9条とこれを支持する人達の根本理念が見えてきます。それは“戦争とは常に日本国だけが仕掛けるものであり、他国が日本に戦争を仕掛けることなど決して想定しない”という理念です。

 

 この基本理念は実は日本国憲法にも明確に規定されています。前文を見てみましょう。

 

 “日本国民は(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。”

 

 まさに、“日本以外の諸国民は日本とは異なり平和を愛している、従って戦争を仕掛けてくることなど決して無いのだから、日本さえ戦争を仕掛けなければ戦争など起こらないの だ、”と言っているわけです。これを私は“9条の定理”とよんでいます。


    9条の定理に反し、日本は武力攻撃を仕掛ける国に囲まれている

 言うまでもなく、現実はこんな前提とは程遠いものです。戦後の日本周辺だけを見回してみても、北朝鮮はとつぜん韓国に侵攻しソウルを陥落させました。つい最近も人々が普通に生活している韓国延坪島に大砲をぶっ放してきて多数の死傷者を出しました。前述しましたが、中国は独立国チベットを武力で制圧し自国領としてしまった。最近もフィリピン南沙諸島を武力で占領。ソ連もアフガニスタンを武力攻撃しました。もちろん日本の北方領土が武力によってソ連に奪われたのも戦後のことです。ソ連がロシアに変わった今もその状態は変わっていません。最近もグルジアの一部・ウクライナの一部を武力で編入しました。アメリカによるベトナム戦争も忘れてはならない。 

 


 

仮に本当に“諸国民”が“平和を愛”しているのが事実だとしても、国家の意思はまた別のところにあるのが現実でもあります。さらには、我らが隣国である北朝鮮や中国など、“国民の意志を国家の政策に反映させるシステム”がそもそも存在していない国だってあります。(中国国民に対するネットアンケートの結果は8割以上が中国共産党独裁に反対していると出たそうです。この結果はすぐに削除されたそうですが。)

 

 この憲法前文が9条の理念の前提として書かれている事に異論はないと思います。その“前提”が現実世界とこれほど乖離していることが明確である以上、9条そのものが“砂上の楼閣”である、というのはもはや目をそらすことの出来ない現実ではないでしょうか。

   
大逆説・憲法9条を守らなかったから日本は70年戦争をしないできたのだ 】も参照


 
2013.7月
【お答えします】

一時期、9条平和主義の皆さんたちの間ではコスタリカブームが起こっていたようです。コスタリカの専門家を自称するジャーナリストとか呼んで講演会だか学習会だかひらいて、“さあ日本もコスタリカを見習いましょう”とかいって盛り上がるのが流行っていたらしい。その後、本当のコスタリカの専門家や軍事の専門家によってコスタリカの本当の姿が明らかになるにつれ、ブームは去ったかに思われましたが、まだまだこういうことを言っている人がいる。このあたり、9条派の皆さん特有の、“9条に都合の良い情報しかいれない、新しい情報は入れない、現実を見ない、”という性質がよく現れているといえます。コスタリカにはシロウトだがフツウに新しい情報は入れ、フツウに現実は見る私がカイセツすることにします。

 確かにコスタリカには軍隊と言う名の組織は存在しません。が、

、治安警備隊には対戦車ロケット砲などの装備は備えているし、その組織の予算も同規模の周辺諸国と比べても見劣りするものではありません。また有事の際の徴兵制も憲法に規定されています。その上、米州機構という軍事同盟にも加入していて、当然いざというときにはアメリカが集団的自衛権を発動することになっています。もちろんこれはアメリカの核の傘のもとにあるということです。

 またイラク戦争の時は“有志連合”に名を連ね、アメリカによる“大義なき戦争”に全面協力しました。つまりパターンとしては日本の現状(追記・安保法成立前)と非常によく似ている上に非常時には徴兵制もある。こういう国を9条さんたちが“見習いましょう”と言うのも、ノーテンキと言うのか何と言うのか・・・。

 アイスランドは確かに軍隊といえるほどの組織は持っていないようです。が、NATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟に加盟していて

、当然いざという時には集団的自衛権が発動されます。もちろんNATOにはアメリカ・英国・フランスなどの核保有国が含まれアイスランドもその核の傘のもとにあるということです。

 そのほか30カ国近くが“軍隊のない国”としてカウントされたりします、が大体この2国と同じパターンと見て良いようです。

 要するに、たとえ軍隊という名の組織は持っていなくても違う名称の軍事力を持っているか、自国が軍事力を持っていなくても他国の軍事力に依存しているかのどちらかだということです。

 つまり
この地球上には、軍事力によらずに安全と独立を確保している国など基本的には無い
ということです。もちろん日本も含めて、です。(人口的にも経済的にも面積的にもものすごい小国で、かつ地理的条件にも恵まれ、いわば侵略される可能性がゼロとも言える国がホントに軍隊を持っていないという例がいくつかあるというウワサもありますが具体的にどこの国であるのか私は知りません。まあたとえそんな国が実在したとしても日本には何の参考にもなりませんが。

 と、ここまでは誰でもが入手できるフツウの情報です。

 ここからはこの件についての私の見解を。

 まず、これらの国はこの状態を自ら選択したという明確な自覚を持っているということです。もちろん現実世界においては“やむを得ず”とか“苦渋の選択”とかはあるでしょう。しかし日本の9条派の方々のようにその現実から目を背けたり、その現実を恥じたりということはないと思います。小国として大国の軍事力を上手く利用しているということでしょう。

 しかし一方で、
これらの国は特に外交面において、独自性を発揮することはほぼ不可能であるいうことになります
自国の安全保障を他の大国にほぼ全面的に依存しているということは、現実にその大国の意向に反した外交はできないし、時には内政においてすらその大国の意向は無視できない。

 日本もこれらの国と全く同様です。

 かつては中東諸国などでアメリカとは異なる独自外交を展開していたこともあったようですが、イラク戦争を境に、あるいは日本自身の周辺が騒がしくなるに連れ、日本の独自外交などほぼ不可能になって来た。ほぼ100パーセントアメリカ追従です。

 そして内政。

 そもそも日本がどのような安全保障体制を持つのか、どこにどんな基地を置き、どんな装備を配置するのか、それらは全て日本の内政問題であり、日本人自身が決定すべき問題です。そうした自覚なしに、米軍基地問題やオスプレイ配備問題をアメリカに抗議したりなどまったくバカバカしくて話にならない。

 あるいはTPP参加問題。経済の問題として、賛否両論議論を尽くすのは大いに結構です。しかし一部の外交評論家はこう言っていました、“尖閣問題でアメリカ国務長官の協力の発言をもらったからにはもはやTPP参加拒否などできないのだ”。

 この発言は実に説得力を持ちます。もちろん実際にTPP問題と尖閣問題がどうリンクするかなんて外部のシロウトには解明のしようがないし、政府は絶対に否定するに決まっています。しかしアメリカと日本の安全保障を巡る関係を見れば、アメリカに強く要求されたことを日本が拒否できるような構造にはなっていない事は事実としてあるということです。

 要するにコスタリカにしろ、アイスランドにしろ、そして日本にしろ、自国の防衛を自国で責任を持てない国は、たとえ内政であっても、国防を任せている国と利害対立があった場合、自国の方針などつらぬけるわけがありません。これは国としての意志の強さとか外交技術の問題ではない。国家間の構造の問題です。

 実は9条をとりまく様々な状況をこのまま放置しておく事の問題の本質はここにあると私は思っています。国防問題、安全保障問題だけなら、違憲の自衛隊を持ちつつ、アメリカに金払って米軍基地置いて、地位協定にも手を付けず、時に基地周辺の少女が襲われても、全てアメリカのせいにして、後はアメリカに文句言ってればそれはそれでよいのかもしれない。安全保障に関してだけはほぼ万全であると行っても良いのかも。

 しかし
自国の内政を、いわば自分たちの将来像、幸福象を自分たちで決められない、決める権利を構造的に持つことが出来ない
そんな国がまともな独立国と言えるのでしょうか。

  ところである9条派学者がこんな事を行っていました。

 “例えば北朝鮮が日本にミサイルを打ち込んでくるなんてありえないのだ。だってそんなことをすれば、一気に反撃を受けて今の体制はなくなってしまうのだから。そんなありえないことのために日本が軍事力をもつ必要など無い。”

 この人はその“一気に反撃”するのが誰なのか全く眼中に無くこういう無邪気なことを言っているのでしょう。この人にとっては自衛隊の反撃など論外なわけだから、残るはアメリカ軍です。しかも“今の体制が無くなってしまう”ほどの“反撃”といえばそれは核兵器のことです。つまりこの発言の意味するところはこういうことです。

 “日本はアメリカの核の傘の下で守られているのだから、軍事力を持つ必要など無い。”

いつのまにか“軍事力で平和は守れない”という9条本来の精神などぶっ飛んで、“9条を守るためなら、アメリカの核だって利用しちゃう、”ということです。しかも本人はそれを自覚すらしていない。数年前、健康ブームのさなか、“健康のためなら死んでもいい、”ってジョークがあったけど、まさに“9条を守るためなら核兵器を使ってもいい”ってことだ。9条派学者の無意識のダラクもここに極まれり、というところでしょう。

 この人の無邪気で無意識なダラクはともかく、現実はまさにこの人の言うとおりです。つまり日本国憲法9条と日米安保・核の傘はセットで成り立っている。日米安保・核の傘があるからこそ日本は憲法9条を“守って”来られた。つまり先にふれた基地周辺で地位協定の元、イケニエになって来た少女は、米軍へのイケニエであると同時に、憲法9条へのイケニエでもあるということです。

コスタリカやアイスランドのような小国であれば、それは国家生き残りのためのやむをえない選択なのかもしれない。しかし人口的にも経済的にも歴史的にも、日本のような大きな国が自国の幸福像を自分で選択出来ないような国で良いのか。さらには大きな国であるということは、世界にたいしても相応の責任があるということです。それが小国のような、人間で言えば、いつまでも子どものままがいいですみたいな、そんな国で良いのか。イケニエまでさし出して。

 しかし日本国憲法9条が今のままで在り続ける限り、構造的に日本はそんな国であり続けるしか無いということです。

(安保法成立後の状況については
脱・米国追従外交は脱9条から始まる
集団的自衛権で日本はアメリカの戦争にさらに巻き込まれるのか
等を御覧ください)