【変な主張2】コスタリカ・アイスランドなど、軍隊を持たない国は世界でもたくさんある。 | 脱9条のススメ    護憲・リベラルのための憲法9条講座

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かつてガチガチの9条平和主義者だった私がその大矛盾に気づいてしまいました。
様々なテーマでリベラルの視点から、具体的・論理的に脱9条論を展開します。

2013.7月
【お答えします】

一時期、9条平和主義の皆さんたちの間ではコスタリカブームが起こっていたようです。コスタリカの専門家を自称するジャーナリストとか呼んで講演会だか学習会だかひらいて、“さあ日本もコスタリカを見習いましょう”とかいって盛り上がるのが流行っていたらしい。その後、本当のコスタリカの専門家や軍事の専門家によってコスタリカの本当の姿が明らかになるにつれ、ブームは去ったかに思われましたが、まだまだこういうことを言っている人がいる。このあたり、9条派の皆さん特有の、“9条に都合の良い情報しかいれない、新しい情報は入れない、現実を見ない、”という性質がよく現れているといえます。コスタリカにはシロウトだがフツウに新しい情報は入れ、フツウに現実は見る私がカイセツすることにします。

 確かにコスタリカには軍隊と言う名の組織は存在しません。が、

、治安警備隊には対戦車ロケット砲などの装備は備えているし、その組織の予算も同規模の周辺諸国と比べても見劣りするものではありません。また有事の際の徴兵制も憲法に規定されています。その上、米州機構という軍事同盟にも加入していて、当然いざというときにはアメリカが集団的自衛権を発動することになっています。もちろんこれはアメリカの核の傘のもとにあるということです。

 またイラク戦争の時は“有志連合”に名を連ね、アメリカによる“大義なき戦争”に全面協力しました。つまりパターンとしては日本の現状(追記・安保法成立前)と非常によく似ている上に非常時には徴兵制もある。こういう国を9条さんたちが“見習いましょう”と言うのも、ノーテンキと言うのか何と言うのか・・・。

 アイスランドは確かに軍隊といえるほどの組織は持っていないようです。が、NATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟に加盟していて

、当然いざという時には集団的自衛権が発動されます。もちろんNATOにはアメリカ・英国・フランスなどの核保有国が含まれアイスランドもその核の傘のもとにあるということです。

 そのほか30カ国近くが“軍隊のない国”としてカウントされたりします、が大体この2国と同じパターンと見て良いようです。

 要するに、たとえ軍隊という名の組織は持っていなくても違う名称の軍事力を持っているか、自国が軍事力を持っていなくても他国の軍事力に依存しているかのどちらかだということです。

 つまり
この地球上には、軍事力によらずに安全と独立を確保している国など基本的には無い
ということです。もちろん日本も含めて、です。(人口的にも経済的にも面積的にもものすごい小国で、かつ地理的条件にも恵まれ、いわば侵略される可能性がゼロとも言える国がホントに軍隊を持っていないという例がいくつかあるというウワサもありますが具体的にどこの国であるのか私は知りません。まあたとえそんな国が実在したとしても日本には何の参考にもなりませんが。

 と、ここまでは誰でもが入手できるフツウの情報です。

 ここからはこの件についての私の見解を。

 まず、これらの国はこの状態を自ら選択したという明確な自覚を持っているということです。もちろん現実世界においては“やむを得ず”とか“苦渋の選択”とかはあるでしょう。しかし日本の9条派の方々のようにその現実から目を背けたり、その現実を恥じたりということはないと思います。小国として大国の軍事力を上手く利用しているということでしょう。

 しかし一方で、
これらの国は特に外交面において、独自性を発揮することはほぼ不可能であるいうことになります
自国の安全保障を他の大国にほぼ全面的に依存しているということは、現実にその大国の意向に反した外交はできないし、時には内政においてすらその大国の意向は無視できない。

 日本もこれらの国と全く同様です。

 かつては中東諸国などでアメリカとは異なる独自外交を展開していたこともあったようですが、イラク戦争を境に、あるいは日本自身の周辺が騒がしくなるに連れ、日本の独自外交などほぼ不可能になって来た。ほぼ100パーセントアメリカ追従です。

 そして内政。

 そもそも日本がどのような安全保障体制を持つのか、どこにどんな基地を置き、どんな装備を配置するのか、それらは全て日本の内政問題であり、日本人自身が決定すべき問題です。そうした自覚なしに、米軍基地問題やオスプレイ配備問題をアメリカに抗議したりなどまったくバカバカしくて話にならない。

 あるいはTPP参加問題。経済の問題として、賛否両論議論を尽くすのは大いに結構です。しかし一部の外交評論家はこう言っていました、“尖閣問題でアメリカ国務長官の協力の発言をもらったからにはもはやTPP参加拒否などできないのだ”。

 この発言は実に説得力を持ちます。もちろん実際にTPP問題と尖閣問題がどうリンクするかなんて外部のシロウトには解明のしようがないし、政府は絶対に否定するに決まっています。しかしアメリカと日本の安全保障を巡る関係を見れば、アメリカに強く要求されたことを日本が拒否できるような構造にはなっていない事は事実としてあるということです。

 要するにコスタリカにしろ、アイスランドにしろ、そして日本にしろ、自国の防衛を自国で責任を持てない国は、たとえ内政であっても、国防を任せている国と利害対立があった場合、自国の方針などつらぬけるわけがありません。これは国としての意志の強さとか外交技術の問題ではない。国家間の構造の問題です。

 実は9条をとりまく様々な状況をこのまま放置しておく事の問題の本質はここにあると私は思っています。国防問題、安全保障問題だけなら、違憲の自衛隊を持ちつつ、アメリカに金払って米軍基地置いて、地位協定にも手を付けず、時に基地周辺の少女が襲われても、全てアメリカのせいにして、後はアメリカに文句言ってればそれはそれでよいのかもしれない。安全保障に関してだけはほぼ万全であると行っても良いのかも。

 しかし
自国の内政を、いわば自分たちの将来像、幸福象を自分たちで決められない、決める権利を構造的に持つことが出来ない
そんな国がまともな独立国と言えるのでしょうか。

  ところである9条派学者がこんな事を行っていました。

 “例えば北朝鮮が日本にミサイルを打ち込んでくるなんてありえないのだ。だってそんなことをすれば、一気に反撃を受けて今の体制はなくなってしまうのだから。そんなありえないことのために日本が軍事力をもつ必要など無い。”

 この人はその“一気に反撃”するのが誰なのか全く眼中に無くこういう無邪気なことを言っているのでしょう。この人にとっては自衛隊の反撃など論外なわけだから、残るはアメリカ軍です。しかも“今の体制が無くなってしまう”ほどの“反撃”といえばそれは核兵器のことです。つまりこの発言の意味するところはこういうことです。

 “日本はアメリカの核の傘の下で守られているのだから、軍事力を持つ必要など無い。”

いつのまにか“軍事力で平和は守れない”という9条本来の精神などぶっ飛んで、“9条を守るためなら、アメリカの核だって利用しちゃう、”ということです。しかも本人はそれを自覚すらしていない。数年前、健康ブームのさなか、“健康のためなら死んでもいい、”ってジョークがあったけど、まさに“9条を守るためなら核兵器を使ってもいい”ってことだ。9条派学者の無意識のダラクもここに極まれり、というところでしょう。

 この人の無邪気で無意識なダラクはともかく、現実はまさにこの人の言うとおりです。つまり日本国憲法9条と日米安保・核の傘はセットで成り立っている。日米安保・核の傘があるからこそ日本は憲法9条を“守って”来られた。つまり先にふれた基地周辺で地位協定の元、イケニエになって来た少女は、米軍へのイケニエであると同時に、憲法9条へのイケニエでもあるということです。

コスタリカやアイスランドのような小国であれば、それは国家生き残りのためのやむをえない選択なのかもしれない。しかし人口的にも経済的にも歴史的にも、日本のような大きな国が自国の幸福像を自分で選択出来ないような国で良いのか。さらには大きな国であるということは、世界にたいしても相応の責任があるということです。それが小国のような、人間で言えば、いつまでも子どものままがいいですみたいな、そんな国で良いのか。イケニエまでさし出して。

 しかし日本国憲法9条が今のままで在り続ける限り、構造的に日本はそんな国であり続けるしか無いということです。

(安保法成立後の状況については
脱・米国追従外交は脱9条から始まる
集団的自衛権で日本はアメリカの戦争にさらに巻き込まれるのか
等を御覧ください)