ヴィム・ヴェンダースの名画『ベルリン 天使の詩』のような書物だ。世田谷区赤堤育ちの著者は幼少時代、高校時代、大学時代、「東京人」編集者時代の記憶を織り交ぜながら、ポストモダン以降の東京を再構成していく。おそらく念頭にあったであろう小林信彦『私説東京繁昌記』のような細やかなディティール、ときに添えられるセンチメンタルな回想。著者独特の時制が入れ子になった構造は、どこか浮遊感を漂わせ、それが却って、80年代、90年代の東京の風景にリアリティを与えている。


「六本木にWAVEが出来たのは一九八三年のことだ。そして有楽町にマリオンが出来たのは一九八四年のことだ。つまり、今から、ほんの二十年前。


ほんの二十年前、と書いたけれど、二十年とは、東京を振り返る時の一つの単位だ。


例えば一九二三年(関東大震災)、一九四五年(東京大空襲)、そして一九六四年(東京オリンピック)という風に東京の街が大きく変わった。新しくなっていった」(P.8「有楽町マリオンと六本木WAVE」)


『クイック・ジャパン』で連載が開始されたのが2004年1月。書き下ろしを含め、出版は2008年なので、実は、1984年からの最新の20年間の東京が描かれているともいえる。坪内氏は、ポップな「TOKYO」とリアルな「東京」との間で、読んで、観て、聞いて、話して、飲んだ、さまざまな記憶を―ブルーノ・ガンツのごとく―〈編集〉してくれた。


「東京に生まれ東京に育った人間を特徴づけているのは町と街の違いに敏感なことだろう。


 …………


町というのは規模的に地域住民のものだ。


それに対して街は、たしかにそこに住んでいる人たちもいるが、それ以外の通りがかりの人たちもいる場、それが街だ」(P.333「経堂」)


かつて「通りがかりの人」として、映画をみ、書店に通った私にとって、街と町はこれまで感覚の違いでしかなかった。なるほど東京には街が多い。私は地下鉄を「普通に」利用する世代故か、街と町の境が曖昧模糊としている。「風景」は坪内氏のように雑多な記憶に寄り添うことでしか焦点がピタリ合うことはないのだろう。


ところで、1980年生まれ(坪内氏とは22歳差)の私が西東京に越して来たのは2001年のことで、東京暦はたったの9年でしかない(2年ほど神奈川県に在住)。にもかかわらず、著者の池袋や両国に対する「遠さ」には少し共感できる。「…浅草のその遠さを体感できる。池袋の場合は私はその遠さを体感できない。だからかえって、不思議に遠いのである」 もちろん、私と著者とではその背景は全く異なるが、新宿以北、そして隅田川以東は未だ「体感できない」のである……。


なお、北島敬三氏による写真、そして装丁も素晴らしい。手に取ってぱらぱら眺めるだけでも価値ある作品だ。(ひ)


『東京』(著:坪内祐三/写真:北島敬三/太田出版/2008年刊)

東京/坪内 祐三
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