阿佐田哲也こと色川氏が『麻雀放浪記』の活躍後、本作が『話の特集』誌から刊行されたのは昭和52年(1977)のこと。極めて自伝的な要素の強い17の短編が綴られ、泉鏡花賞を受賞した。大戦を軸にした記憶と夢がタペストリーにように織り込まれ、賞名にふさわしい幻想的な色彩に満ちている。夢幻的な世界は、突然発作的に短い睡眠に陥る“ナレコレプシー(睡眠発作症)”に悩まされていたという著者の実際の夢なのかもしれないし、全くの創作なのかもしれない。いずれにしろ、捉えがたい魅力(というか魔力)に溢れた傑作だと思う。

各話それぞれユニークな〈来客〉がある。といっても、過去からの〈来客〉であり、著者は過去を回想するという体をとりながら―生家の門前で―彼らと再会する。ウメさんという名の老婆、出羽ヶ嶽の文ちゃん(力士)、南京豆売りのお婆さん、二村定一(流行歌手)、ピストン堀口(ボクサー)、勝負師、芸人、友人、恩師…。真面目ゆえに不器用にしか生きられなかったものたちへ、アウトローとしてしか生きられなかった色川氏ならではの慈愛と哲学を持って対峙する。

「人間は本当に生きようとすると化け物のように怪しく不格好にならざるをえない」(P153)

 「…自分の軌跡はひとつしかない。年月がたつにつれて澱のようなものが身心にたまり、もう何も選ぶこともできず、昨日の自分をはてしなく続けていくよりほかにない。そう、はてしなくだ。助けて賜(た)べやおん僧、である。そうして僧の存在も信じていない。助けてくれるものもなく、助かろうと思ってもいない。この世は自然の定理のみ」(P282)

「私たちは生活のしくみの変化で、自分以外の権威を信じなくなり、信じすぎるという愚はおかさなくなったが、同時に裁判官もなくしてしまった。一度でもおかしたミスは永遠に自分の心の中に、かたのつかないものとして残るのである。私たちはお互いに、助け合うことはできない。許し合うことができるだけだ。そこで生きている以上、お互いにどれほど寛大になってもなりすぎることはないのである」(P290)

そこには、おそらく、思いがけず終戦を迎えてしまった世代ならではの葛藤がある(色川氏は昭和4年(1929)生まれなので終戦時は16歳)。そして著者が語るように当時を生きていないものにはそのリアリティは分かりえない。しかし、だからこそ、「なんまいだぶつ」で始まる著者晩年の苦しい手術生活を題とした喜劇的な最終章「たすけておくれ」の存在は感動的だ。「小学三年生のときに日中戦争が始まり、〈痛苦〉の問題に毎日いやでも直面させられた」若き著者にとって、〈痛苦〉は「正義、とかいう地点に踏みきる前に片をつけておくべき(おきたい)」ポイントであったからだ。戦争が終わり、「〈痛苦〉とは無縁のものがあるがままの姿に思え」たにもかかわらず、結局〈痛苦〉は舞い降りてくる。それこそが、著者にとっての終戦だったのだろうか。化け物たちのように〈痛苦〉を引き受けたということなのか。あるいは、〈許し合う〉ということなのかもしれない。(ひ)