中山康樹の本は面白い。自身の体験に引きつけながら客観的かつ的確な批評で、音楽という名のロードウェイを疾走する。私のような洋楽に疎いものも分かりやすい言葉で案内してくれるのがうれしい。
7月に刊行されたばかりの新刊『さよならビートルズ』のテーマは、“日本におけるビートルズと洋楽受容の歴史”だ。ビートルズの『抱きしめたい』が日本で初めて発売されたのは昭和39(1964)年。『ラヴ・ミー・ドゥー』でデビューしてから2年後のことだ。その「時差や、それにともなうボタンのかけちがい」こそが、現在まで続く日本の洋楽ポップス受容の本質を突いている。つまり、コニー・フランシス『かわいいベイビー』、ナット・キング・コール『ラヴ』など、外国のミュージシャンに日本語で歌わせる“日本語カヴァー・ソング”を生み出した。
「そこには明らかに音楽的な動機以上の、日本人独特の感情があったものと推察する。外国人に対するコンプレックスという言葉と置き換えてもいいだろう。それはどこかプロレスラーの力道山が、屈強かつ巨大な外国人レスラーに空手チョップを浴びせ、勝利することによって溜飲を下げる行為に似ている。日本人が外国人を「使う」という主従関係を築くことによって得られる優越感が、こうした録音の背景にはあったのではないだろうか」(P126)
ビートルズの来日武道館公演(1966年)、ビートルズとヴェンチャーズの混血児、GS(グループ・サウンズ)ブームを契機に、“洋楽的邦楽=Jポップ”の時代が到来する。そして、日本人のミュージシャンは「日本語の歌詞のオリジナル曲を用意し、それを歌い演奏する」ようになり、「聴き手もまた、日本語で歌うミュージシャンに耳を傾けるようになり、やがて洋楽を遠くに眺めるようにな」る。
80年代、90年代を経て現在に至るまで、ウォークマン、CD、iPod、YouTube…とテクノロジーが飛躍的に進歩する中で、音楽は大衆の娯楽ではなく個人的な趣味へと変化した。
「いま現在の音楽は相対的に縮小され、天才が天才として見えず、名作が名作として聴こえないような時代を、まるで映像が早送りされるように瞬時に引き寄せた。デジタルという技術がもたらしたもの、あるいは削除したものは、その「時間」ではないだろうか」(P192)
さらに、9・11、アフガニスタン戦争、イラク戦争とアメリカの孤立化が進むなかで、「アメリカやイギリスといった西洋に憧れを持つという精神性」が失われていく――。
結局、日本において洋楽ポップスは〈本質的には〉根付かなかったようだ(もちろん聴いている人は今でも多くいる)。その代わりにJ-POP(洋楽的邦楽)が生まれた。それは極めて日本的なことに思える。では、今の日本の〈音楽〉はどこへ向かっているのであろうか? もしくは、どこに向かって走るべきなのか? 著者の現時点での回答は最終章『スティーブ・ジョブスの遺言』にある。中山康樹はまた素晴らしい旅路へと誘ってくれた。(ひ)
