高木文平 「『三二庵閑話』を読む」(16)が掲載されました! | レールは、こころをつなぐ道。

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日本の旅は、列車です。(JR-G 2004)

伏見チンチン電車の会のアメブロに…

高木文平「『三二庵閑話』を読む」(16)

が掲載されましたのでお知らせします。

琵琶湖疏水の建設を計画した北垣国通京都府知事

琵琶湖疏水を設計し、建設途中の訪米視察で情報を得て、

日本初の水力発電所を蹴上に設置した田辺朔郎土木技師

田辺技師と共に訪米視察をして京都に日本最初の電気鉄道事業を起こし路面電車を走らせた実業家高木文平

※南禅寺の琵琶湖疏水水路閣建設について福沢 諭吉は1892(明治25)年の「時事新報」にて、「日本国は世界の遊園にして京都は其遊園中の遊園なり(中略)京都にして名所旧跡を失えば、誰れか京都をみるものあらんや。帝都は既に東京に移りて商売は神戸大阪に去り、唯残るものは山水の美と寺社仏閣の古さのみ」と述べて、京都は近代都市になるのではなく古都として観光化していくのが望ましいとの考えを示し、琵琶湖疏水については、古都の美観や社寺の典雅を破壊するとして「事物の緩急前後を誤り、わゆる文明流に走りたる軽挙」だと述べている

千年の愚行!だったのか?

それが今では風景に溶け込んだ観光名所になっている…

 

 

明治の田舎侍と呼ばれ、豪放磊落な高木文平は「名を残す必要は無い!」と自叙伝を好まなかったようで、唯一、本人が口述したものを活字にしたものが明治35(1902)年の出版の『三二庵閑話(さんにあんかんわ)』で、ここに文平の思いが綴られています。

高木文平(たかぎぶんぺい)⇒ Wikipedia

 

その原文は漢字とカタカナで綴られていて読みにくいため、伏見チンチン電車の会では読み易くしたものを連載しています。

 

今回は京都の恩人『電気翁』の高木文平が書かれています

昭和4(1929)年は、文平没後19年という頃でまだその名はよく知られた存在だったとか

 

 

今や京都市民から忘れされようとしている高木文平!

平成8(1996)年 高木文平の故郷、丹波の神吉で孫の高木誠氏が見つけた文平の小冊子のタイトルは『水力電気ノ濫觴(らんしょう) 附(つま)リ デブロー氏ノ深切(しんせつ)』となっており、現代的に言うと『わが国水力発電の起源は「デブロー氏」の親切に始まる』と記されていたのであった。

そこで孫の高木誠氏は祖父の足跡を訪ねて著書を残しました