先日開催の「そうだったのか!伏見を走った路面電車」会場で展示された資料と、福田静二氏の全19停留場紹介写真を始め多くの提供画像を交えて沿線の解説を連載します。
前回の⑯肥後町⑰大手筋↓
大手筋から南は東側の併用軌道で、少し東寄りに向きを変えて伏見駿河屋本店のある油掛通まで、その後南へ進むと京橋北詰に京橋電停がある。
伏見線開通時は油掛通の伏見駿河屋本店横が「下油掛(京橋)」だった。
京都電気鉄道建設時は大手筋通から南に道はなく、沼を埋立て斜めに、旅人の休憩処でもあった伏見駿河屋は西側敷地を提供し油掛通まで開通した。 ↓伏見駿河屋本店 提供
交叉点に信号は無く電車が近づくと警報音が鳴った。
その先の京橋浜は淀川水運の船が出入りしていた。
開通時は伏見駿河屋本店の横が終点「下油掛(京橋)」だったが後に1914(大正3)年に中書島まで延伸時に京橋北詰に移設されたと思われる。
大手筋は西で南へ曲っている!
後方右手は伏見駿河屋で、しばらく南方向東側路肩に少し余裕は有るが、東側併用軌道となっているので軌道敷上をトラックが取り囲んでいる。
廃止時の京橋電停は、↑の撮影位置の背後側で、↓京橋の手前にあった。 ※両写真の「スズキ」の看板が共通
⑱京橋 軽自動車後方の電柱付近が京橋電停。
京橋畔には寺田屋や、「龍馬とお龍の像」の有る公園がある。
京橋電停を発車して京橋を渡り終点中書島をめざす。
上の地図には大手筋から南に西寄りに分岐する「地方山崎(じかたやまざき)線」の記述がある。
これは1906(明治39)年12月11日~1916(大正5)年10月4日に運転された大手筋から分岐して地方山崎に至る単線の貨物線だった。
この地図だと「何の意味が有るのか?」状態で、この線に関する詳細な資料は残っていないが…
京電研究のオーソリティー大西友三郎氏の資料によると、京都電気鉄道は、この地図よりも更に油掛通を越え南へ道路西側を川岸までの特許申請をしている。
実際の線路がどこまでだったかは不明だが、船と電車で貨物を積み替えて輸送していた。