京都電気鉄道 未成線 | レールは、こころをつなぐ道。

1895(明治28)年に開業した日本最初の電鉄会社の京都電気鉄道は、23年で京都市電に買収されたためあまり詳細な資料が残っていません。

 

これは1913(大正2)年7月10日改正の「京都電気鉄道 営業線路及ビ賃金表」で未成線の記載もある。

京都の鉄道・バス 写真データベースより ⇒ こちら

 

上図右端には翌年開通する京橋(下油掛)から半分見えている中書島までの未成線の記載が有る。

 

そして、下図は上図左端拡大図で、未成線として三宅線の記載がある。

 

当時は寺社への参詣が盛んで、伏見稲荷や北野天満宮にアクセスしている京都電気鉄道は、子供の守り神として参詣客の多い三宅八幡宮へのアクセスをも計画していた。

京都電気鉄道研究のオーソリティー大西友三郎氏は「出町線をさらに東北に延長、田中村、修学院村を経て三宅八幡まで達する軌道が明治36年10月27日特許となった 。結局、この軌道は敷設されずじまいとなったが、後に大正時代に入って 、京都電灯株式会社がこの案にそって軌道敷設をし、大正14年9月27日、開通した。今の京福電鉄叡山線(現:叡山電鉄本線)がそれである。」と書いている。 ↓終点で分岐している

京都電気鉄道出町終点(青竜町)前は鯖街道入口の出町橋

※上の地図では、橋の名前は「葵橋」となっている

 

三宅八幡宮 HP

 

 

そして三宅線以外に先の拡大図下半分に堀川中立売から北方面へ寺(之)内線?から考えると、恐らく寺之内通を西へ、そして北側から北野へ至る未成線の記載がある。

しかしながらこの堀川中立売以北の未成線の記録は未だ見たことが無く、上の拡大図だけでは大変アバウトなルートだが…

 

もう1枚、同年同月1日発行の大阪毎日新聞付録の「京都市街全圖 : 附著名諸會社、銀行、商店案内」には明確に堀川中立売を北進して、堀川寺之内を西へ進み紙屋川手前で、北野天満宮東側からさらに北進したルートと合流し、紙屋川を渡り蘆山寺通を西へ進み、当時まだ西大路通は無く、その1本東にあたる道(平野神社の東側の道)を金閣寺正面の鞍馬口通まで北上し、金閣寺へ至る赤い未成線の記述がはっきりと記載されているのである。

この終点位置は金閣寺門前より 60m奥まで引かれている!

これを見てから冒頭の図を見なおすと左下へ続いている様な…

 

その地図全体はこちら ↓ 国際日本文化研究センター

 

このルートに関しての話は大西友三郎氏の資料でも、京都市電の資料でも見たことは有りません。

「こんなルートで敷設したいなぁ…」程度で地図が描かれたのでしょうか?

明確にルートが記載されているのになぜなのでしょう・・・・

 

北野線延伸ルートへつづく