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母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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「算数・数学を言葉で語る でも、式を使えば簡単になる」の続きです。
数学では計算の仕方を身につけるのと同じくらい大事なことに「説明(証明)」の練習があります。
 
別の言い方をすれば「計算」とは「数式で書いた説明」と言い換えることもできますからなおさらのことです。
言葉で説明するのがめんどうなので数式という形があるのです。
 
それでも実際に数式では段取りが書けないが筋道立てて説明する必要があるときがあります。
 
同時にこれは
理屈を通して書類を作ることの練習にもなります。
 
手続きで理由を書く場合、法律の手続きをする場合 など
権利義務関係の争いになれば当然法律・規則を知り、理屈を通した者の方が勝ちになります。
(ただし、理屈を通す方法はいろいろあります。念のため)
 
特に法律では「言葉の規則(=演繹)」を理解した者が圧倒的に有利になります。
数学は基本的に演繹の世界になります。
(数学的帰納法という分野もありますが、これも演繹が成り立っているからできることです)
 
言葉の規則とは、たとえば
「児童はタバコをすってはいけない」というとき
児童とは小学生を指しますから20歳以下なので当然法律での禁止の範囲です。
(日本では成人が中学校に入ることはあっても小学校に入学することはほとんどありえません)
児童という言葉(概念)自体に「未成年」ということが含まれています。
これが法律に違反する(禁止されている)ことは証明の必要がありません。
(概念がもっている性質のことを「属性」と言います)
 
それに対して
「生徒はタバコをすってはいけない」というとき
現在「生徒」は一般に中学・高校生を指しますが
高校生は定時制なら成人がいることは普通です。
全日制高校でも成人が入学してもかまわないし
夜間中学校ならほとんどが成人です。

ですから
生徒という言葉でタバコをすうことが許されているかどうかは判断できません。
(当然、学校の管理下にある場合には生徒が成人でも校則でタバコをすわせないことはできます)
この場合は
身分証明書での生徒の年齢の確認が必要になります。
 
現代論理学では「演繹」はこのような言葉の規則を意味します。
むずかしく言うと「概念」に含まれる「属性」での証明ということになります。
 
数学での証明は疑うことができない基本事実(公理)から論理を使って進めることになります。
実際にはみんなが共通に認めることを前提とするということです。
もしくは「それが成り立つという仮定」での証明です。
数学上でも正しいことが証明できなくても
それを認めなければ話を進めることができないことがあります。
(ユークリッド幾何学では証明不能の公理がいくつかあります)
 
図形の証明のように
数式に代わって、または、数式で表現できない(しにくい)ことを言葉で説明するトレーニングは数学の基本になるものです。
 
数学の証明の基本は非常に単純なもので
「仮定」と「結論」からできています。
「AならばBである」というふうに。
どんな複雑な証明でもこれが果てしなく続いていくだけです。
 
ですから
証明問題を解く基本は
「仮定」と「結論」をみつける
(図形問題なら仮定を図にかきこむ)
結論から逆算して論証の流れを考える
そのためには
根拠となることがら(公理・定理)を覚えることが必要になります
根拠となることがらを覚えるほど論証の引き出しが増えることになります。
 
現実の入学試験問題では本当の証明能力を試すよりも
(大学入試の2次試験ではありうるが、医療の学校ならなおさらのこと)
処理能力を確かめることが目的で出題には「型」のようなものがあります。
『結論』から言うと、多くの問題に触れ、基本的なパターンを学習することで対策できます。
 
それでも
子どもだけではなく、大人にとってもいちいち論理をたどり説明することはめんどうなことです。
わたしも高校生のころまではめんどうでしようがありませんでした。
 
ところが
オトナになってからも証明を書いていくのはやっぱりめんどうなのですが
どうやって
説明するかということは面白くなってきました。
相手に伝えることがどうしても必要だと考えるときに
やはり証明というものはその基本になることが実感されるからです。

 

今年も慰霊の季節が過ぎ、恒例の「平和を願う」行事・特集も一通り終わりました。
わたしも当然戦争を望みません。
何一つよいことがありません。
 
いわゆる「戦争での技術革新」の神話も
大戦後の民間需要による技術革新での切磋琢磨の方がはるかに効果的であったことで
すでに否定されと思っています。
軍需による競争よりも民需の競争の方がより厳しいことが分かります。
その点では大戦後の技術革新はそれまでの歴史常識を越えています。
「戦争での技術革新」の神話も逆の意味で戦争に対する過大評価と言えましょう。
 
戦争を振り返る企画自体は悪いものではないのですが
思い込みによる一方的な「断罪」をやっても
それは今後戦争を起こさないために役立つものなのでしょうか?
 
特に軍人たちがいかに愚かであったかということだけを非難するような主張が
本当に戦争・戦闘に対する意味のある批判になるのかどうか疑問に思えます。
後だしジャンケンで彼らを批判するのはたやすいことですが
どの時代でも幹部になるような人間はたいてい優れています。
一見の無謀のように見えてもそこにはそうしなければならなかった理由・現実があります。
単純な批判ではなくそのなぜを知ることで本当の批判をすることができます。
 
次の文章はあるコラムからの引用です。
「昭和陸軍の突撃と明治陸軍の突撃はほんとうに同じで一緒ですか?
一斉肉弾突撃とやら、その規模や実施方法がどう変化してきたか調べましたか?
また、ボルトアクション小銃の歩兵が突撃前進を行なうのに射撃していたら、それこそ突撃前進は頓挫してしまいませんか?
 
日本軍は射撃戦を嫌ったわけではありません。突撃一本槍ならば九九式~一式シリーズの歩兵火器は必要ないでしょう。
陣地の攻略に時間がかかること、ひいては進撃速度が鈍ることを嫌ったのです。
敵陣を急速に突破し、遭遇戦のシチュエーションで敵を蹴散らし、また迂回して駆け抜け、包囲殲滅で勝負をつける。
つまり機動戦に持ち込みたかったのです。
精神主義だから突撃なのではなく、合理主義だから突撃なのです。
そしてそれは第二次大戦の戦場で十分に通用するものでした。
例えば、インパール作戦でも、日本軍にメシとタマがあるうちは英軍は日本軍の進撃速度に対応できていません。
英軍は突破され、蹴散らされ、包囲されています。
メシとタマと飛行機がなかったので詰めきれませんでしたが、突破→急進→包囲の機動展開は実に鮮やかなものです。
 
戦争後半にあまり成功しなくなったのは、操典では突撃を支援するように定められている擲弾筒や歩兵砲の弾薬が尽きているのにそれしか知らないので無理にやろうとしたこと
やはり要務令には書いてあるのに野戦砲兵の事前射撃や援護射撃、あるいは戦車の協力はほとんど受けられなかったこと
米英軍が既にその手を知っていて対策していたこと
日本軍の中隊~大隊レベルの前線指揮官の質が落ちていて経験不足を補えるベテラン士官も払底していたことが主な原因でしょう。
逆に言えばこれらの条件が二つ三つ緩和されていれば十分に恐るべき威力を発揮できる戦法だったのです。
 
条件が整わないのに敵の圧力はそこにある、それを兵や将校が受けた訓練の中で対応しようとする
これは陸軍が精神力至上主義だからそういうことになったのでしょうか?
いくらなんでも、たかだか70~60年前の日本人、それも優秀なのを選りすぐった集団の考えることがそんなに愚かなわけがないじゃないですか。」(以上)
 
よく、白兵突撃では日本兵が米軍の火力に一方的に蹂躙されたように言われることが多いのですが
現実には前線を浸透してくる兵に対して「最終防護射撃」と呼ばれる全火器での狙いも定めない前方への弾幕防御で対抗されるような
米軍にとっても恐怖であり楽勝と語れるようなものではありませんでした。
恐怖を感じるからいかにも無謀な行いだと宣伝したのです。

よく誤解されますが
敵陣の目の前で小銃を構えて突っ込むのではなく
可能な限り陣地の近くまで気配をころして浸透して
一気に駆け込める間合いになって初めて敵陣に駆け込む
これが「突撃」という戦術です。
「特攻(特別攻撃)」を「突攻」と勘違いするのと同じように「突撃」は誤解されています。
現在でも正規軍同士の戦闘では相手が逃げ出さないかぎり
突撃なしでは陣地の占領はできません。

陸軍首脳は日本の国力では大砲の弾をふんだんに使えないことはよくわかっていたので
敵陣を攻略する「静粛夜襲」という突撃を有効にする夜襲戦術を開発し日々訓練に励みました。
米軍はそれに対抗するために陣地の周りにマイクロフォンを埋めて動きを捉え
突撃の間合いを許さないように弾幕を張りました。
その結果、間合いが取れずに遠い位置から敵陣に突っ込むことになりました。
これが米軍がいう「バンザイ突撃」という結果です。
 
この文を読んだときには目を開かされました。
人は自分が思うほど賢くはありません。
誰だって経験や訓練の中で対応しようとするのは当たり前のことです。
一人の思い付きで周りが訓練されていないことを共同でやらせようとすることには無理があります。
 
ここで言われていることは現在の日本を巡っても通用することだと思います。
なぜ、戦後一時期、世界の頂点に立った日本がなぜ凋落したしたのか
対策するためには単なる「戦犯」をつるし上げるのではなく
まず、条件・状況の変化の中で冷静にその事実を確かめる能力が今求められているのです。

 

ロシア・ウクライナ事変(incident、戦争(war)宣言がされていないので)が毎日報道されている折
今、思い込みではない軍事への見方が求められています。
 
先の大戦ではすべての悪は陸軍のせいであり
海軍の進歩派は戦争に反対していたという伝説があります。
 
特に陸軍は「バンザイ突撃」に代表される無謀な作戦、戦術をおこなったとされています。
実際そうだったのでしょうか?
 
まず、批判するのであれば表面を見るだけではなく、最低、公文書を読んでからでしょう。
アマチュア軍事史家でも真剣に公文書を発掘して、旧軍(陸軍)は結果は無残でも決していいかげんではなかったことを立証しています。
 
よく誤解されているのですが
帝国陸軍は一次大戦に参戦していなくても、ポスト大戦型陸軍です。
つまり、その戦訓に基づき対策を行なった軍隊です。
 
陸軍の戦術の教範(マニュアル)を読めば当時の軍中央が貧弱な生産力で列強に対抗しようとした苦衷が読み取れます。
決して日露戦争の水準の軍ではなかったのです。
 
しかし、当時の日本の国力があまりにも乏しいことが理由でしたから
陸軍のエリート達も(先が見えるエリートなればこそ)必勝法が見つからなかったのです。
その結果、精神主義を主張する軍人が幅をきかせることになったのです。
 
日露戦争で活躍した乃木将軍は敗戦後に精神主義の権化とされ
司馬遼太郎氏などはまるで狂気の人であるかのような扱いをしています。
そんな乃木将軍が軍神扱いされるような陸軍が異常であるかのような論調がされています。
 
それに対して軍艦をつくれば
たとえそれで国が財政破綻しても
戦争に勝てると考えたのが海軍の主流派でした。
彼らが軍縮に反対して政治家とグルになって陰謀を謀ったこと(統帥権干犯問題)が
二・二六事件という軍部の反乱から軍国主義に至る道をつくってしまったのです。
 
陸軍の神がかった代表とされる乃木将軍は意外にも欧州の兵学研究の第一人者でした。
彼が丸善で欧州から兵書を注文していたという事実があります。
 
旅順攻城戦でもよく言われている無理に攻めたという評判とは違って
近代要塞攻城戦の知識があれば
それまで、欧州の軍隊でもコンクリートでできた近代要塞を本格的に攻めた経験がないことが分かります。
むしろ、欧州の軍人たちが乃木司令部の戦術をもとに攻城戦原則を作ったくらいです。
事情からすれば最低限の損害ですませたというべきでしょう。
 
乃木司令部は偶然ではなく、有能だったからいつも日露戦争の戦いの中心にいたのです。
戦前の人たちは直感的にであってもそのことを知っていました。
 
別に帝国陸軍を弁護する気はありませんが
南方離島での餓死病死は海軍に騙されたからです。
(戦没陸軍軍人の過半数は離島での餓死病死と輸送船の水没によるという)
一次史料で見直さなくても、きちんと調べれば、陸軍は部隊を離島に配備するのは反対だったのはすぐにわかります。
 
仲が悪い海軍でも同じ同胞として捨てておけなかったからいやいやでも派兵したのです。
そしたら、案の定、海軍は補給に責任を持ってくれなかったのです。
そして、離島に残された部隊は米軍の攻撃ではなく病と飢えのために自滅したわけです。
その結果がいわゆる「バンザイ突撃」に象徴されるような無謀な戦術と言われた攻撃でした。
(実際には米軍が言うような形での「バンザイ突撃」はなかったのですが、次回に説明)
これまでの説が陸軍無謀伝説に踊らされていることがよく分かります。
 
大体、日中戦争(本来は支那事変が正しいのでしょうが、一応、主義から使いません。でも、支那は他称ではなく彼らの自称だったのですよ)も
大陸を戦火にさらしたのは事実ですが
もともとは政治家と海軍主流派が陸軍の意思に反して停戦を拒んだから戦火が拡大したのです。
 
そんな責任を敗戦後に政治家・海軍はすべて陸軍に押しつけ涼しい顔をしていた。
これが資料から読み取れる事実です。
 
フェイクニュースは今に始まったことではなく
あの頃から始まっていたことが分かります。