単なる思い込みの批判は批判に値しない 帝国陸軍悪玉・海軍善玉論をめぐって | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

学資・生活費・修学の相談から受験トレーニングまで。オトナ、特に母親ひとり親が「自立できる資格がとれる学校に入る」手助けをします。合格報酬・延べ払い制(交通費・雑費・入試受験料は自己負担)問い合わせは tkano0222@gmail.com、Line公式ID@026nzpas

ロシア・ウクライナ事変(incident、戦争(war)宣言がされていないので)が毎日報道されている折
今、思い込みではない軍事への見方が求められています。
 
先の大戦ではすべての悪は陸軍のせいであり
海軍の進歩派は戦争に反対していたという伝説があります。
 
特に陸軍は「バンザイ突撃」に代表される無謀な作戦、戦術をおこなったとされています。
実際そうだったのでしょうか?
 
まず、批判するのであれば表面を見るだけではなく、最低、公文書を読んでからでしょう。
アマチュア軍事史家でも真剣に公文書を発掘して、旧軍(陸軍)は結果は無残でも決していいかげんではなかったことを立証しています。
 
よく誤解されているのですが
帝国陸軍は一次大戦に参戦していなくても、ポスト大戦型陸軍です。
つまり、その戦訓に基づき対策を行なった軍隊です。
 
陸軍の戦術の教範(マニュアル)を読めば当時の軍中央が貧弱な生産力で列強に対抗しようとした苦衷が読み取れます。
決して日露戦争の水準の軍ではなかったのです。
 
しかし、当時の日本の国力があまりにも乏しいことが理由でしたから
陸軍のエリート達も(先が見えるエリートなればこそ)必勝法が見つからなかったのです。
その結果、精神主義を主張する軍人が幅をきかせることになったのです。
 
日露戦争で活躍した乃木将軍は敗戦後に精神主義の権化とされ
司馬遼太郎氏などはまるで狂気の人であるかのような扱いをしています。
そんな乃木将軍が軍神扱いされるような陸軍が異常であるかのような論調がされています。
 
それに対して軍艦をつくれば
たとえそれで国が財政破綻しても
戦争に勝てると考えたのが海軍の主流派でした。
彼らが軍縮に反対して政治家とグルになって陰謀を謀ったこと(統帥権干犯問題)が
二・二六事件という軍部の反乱から軍国主義に至る道をつくってしまったのです。
 
陸軍の神がかった代表とされる乃木将軍は意外にも欧州の兵学研究の第一人者でした。
彼が丸善で欧州から兵書を注文していたという事実があります。
 
旅順攻城戦でもよく言われている無理に攻めたという評判とは違って
近代要塞攻城戦の知識があれば
それまで、欧州の軍隊でもコンクリートでできた近代要塞を本格的に攻めた経験がないことが分かります。
むしろ、欧州の軍人たちが乃木司令部の戦術をもとに攻城戦原則を作ったくらいです。
事情からすれば最低限の損害ですませたというべきでしょう。
 
乃木司令部は偶然ではなく、有能だったからいつも日露戦争の戦いの中心にいたのです。
戦前の人たちは直感的にであってもそのことを知っていました。
 
別に帝国陸軍を弁護する気はありませんが
南方離島での餓死病死は海軍に騙されたからです。
(戦没陸軍軍人の過半数は離島での餓死病死と輸送船の水没によるという)
一次史料で見直さなくても、きちんと調べれば、陸軍は部隊を離島に配備するのは反対だったのはすぐにわかります。
 
仲が悪い海軍でも同じ同胞として捨てておけなかったからいやいやでも派兵したのです。
そしたら、案の定、海軍は補給に責任を持ってくれなかったのです。
そして、離島に残された部隊は米軍の攻撃ではなく病と飢えのために自滅したわけです。
その結果がいわゆる「バンザイ突撃」に象徴されるような無謀な戦術と言われた攻撃でした。
(実際には米軍が言うような形での「バンザイ突撃」はなかったのですが、次回に説明)
これまでの説が陸軍無謀伝説に踊らされていることがよく分かります。
 
大体、日中戦争(本来は支那事変が正しいのでしょうが、一応、主義から使いません。でも、支那は他称ではなく彼らの自称だったのですよ)も
大陸を戦火にさらしたのは事実ですが
もともとは政治家と海軍主流派が陸軍の意思に反して停戦を拒んだから戦火が拡大したのです。
 
そんな責任を敗戦後に政治家・海軍はすべて陸軍に押しつけ涼しい顔をしていた。
これが資料から読み取れる事実です。
 
フェイクニュースは今に始まったことではなく
あの頃から始まっていたことが分かります。