虐待は悪意よりも支配欲求から 気づけない「善意の虐待」 | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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かつての仕事の経験、そして、自分の経験から
わたしが実感として感じるのは
「虐待は悪意からよりも善意からの方が多いのかもしれない」ということです。
 
善意であれば自分の行動の是非は見えないものです。
加えて「相手のため」という理由付けがあればなおさらです。
いくら子どもであっても
未熟でも一つの人格です。
肉親であればいっそうのこと子どもを一つの人格として見ることはむずかしいのです。
 
子どものために良かれと思っていることが
実は子どものためではなく自分の満足のために行われていることがあります。
 
親としては幼いうちから訓練すれば子どものためになるという思いがあります。
しかし
特に日本では欧米の基準で虐待だとされることを平気でやっていることが多いです。
欧米では、塾通いでの夜間の学童の一人歩きは保護責任者遺棄とされます。
TVで評判がいい「はじめてのおつかい」なども
欧米流の考え方では「保護責任者遺棄」になりかねません。
(実は、早期教育は虐待に結びつきやすいのです)
 
実は虐待は悪意よりも支配欲求からくることが多いことが分かってきています。
優位に立つ者が相手を自分の思うようにしたい
思うようにならないときには
様々な方法(暴力・強制とはかぎらない)で従わせようとする。
こんな支配欲が人間にはあります。
親自身、自分が虐待をしているかどうか分からない 児童虐待のとらえ方・対応のむずかしさ

実は白人社会の方がこの傾向が強いのです。
強いからこそ
彼らには自分たちの間違いの歴史があり
誤りを重ねてきたからこそ誤りに敏感です。
「行き過ぎ」だと彼らを非難するなら
その事情を知ることが必要でしょう。
その上で是非を主張するべきでしょう。
 
残念ながら
なあなあの日本社会では
自分を見つめる意識がないのです。
相手が自分の子であっても
別人格として見る優しさと同時の厳しさ
そんな態度で子どもに向かうことができません。
もともと善意の虐待は本人は気づかないし、気づけないものなのです。
 
むずかしいですが
でも、方法はあります。
子どもにたくさんの色々な大人を体験させることです。
家庭や学校の中にいるだけでは
子どもはそこにいる大人が大人のすべてだと思い込みます。
 
当然、子どもに公然と被害を与える大人は別として
よい大人、ずるい大人、やさしい人、厳しい人…
玉石混淆いろんな人がいる
自分を苦しめる人がいるなら
自分を助けてくれる人もいる
そんな感覚を子どもがもてるようにする。
 
親自身が分からない限り
今の事情を解決するための特効薬はありません。
でも
子どもであっても将来のために自分なりに解決の力をもたなければなりません。
それを用意するのが親だけではなく大人の仕事でもあります。