オトナのための国語キソ14 賢い人はセンテンスが短い 江夏豊と司馬遼太郎の文 | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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「センテンス」とは「句点によって分けられた一つづきのことば」

つまり、文を指します。

「文は人なり」と言います。

賢い人の文は必ず読みやすいわけではありませんが

読みやすい文を書くためには賢さが必要です。

 

元プロ野球プレイヤーの江夏豊さんは何冊かの本を書いています。

偶然ですがその中の1冊『燃えよ左腕 江夏豊という人生』を読みました。

 

非常に読みやすい文で、本人が言いたいことが伝わってくる本です。

文章を読んでいるだけでこの人の賢さが伝わってきます。

 

どの競技でも共通なのですが

プロフェッショナルは体の素質がなければ一流にはなれません。

1971年、夏の甲子園大会で準優勝し小さな大投手といわれた磐城高校の田村投手は

165cmしかなかったのでプロからの誘いをあきらめたという話があります。

(甲子園大会ではすべての試合通算で1失点、その1失点が決勝戦だった)

 

でも

一流の中の一流になるためには素質の良さに加えて頭の良さが必要です。

こここでの頭の良さとは試験の点数ではなく自分で考える能力です。

素質があっても大成しなかったプレイヤーはやはり自分で考えられない人が多いです。

(高校野球にかかわっていた時にイヤというほど実感しました)

江夏さんの文を読むとこの種の頭の良さがよく伝わってきます。

 

実は、自伝の多くはゴーストライター(匿名代筆家)が書くのが普通です。

ゴーストライターは本人の代わりに文章を書き報酬をもらう職業です。

 

唯一、米国だけが公然と代筆業を認め、社会的地位を与えています。

米国では大統領のスピーチを書く専門のライターがいて名前が公表されています。

 

日本でもほとんどの自伝は編集者という呼び名のゴーストライターが書いています。

これは業界では公然の秘密です。

それでも、この文章を読むと「江夏豊」しか書けない文であることが分かります。

 

それは、不思議な文章だからです。

わたしは職業上、子どもに文を書かせるのを仕事にしてきました。

(といっても、本気で訓練を受けようという子はわずかだけでしたが)

その立場、技術からすると江夏さんの文は教育で考える書き方とは全く違ったものだからです。

 

江夏さんの文を読んで気づいたのは「全く接続詞がない」ことです。

読んでいる途中で気づいて、全体を確かめてみましたが全くありません。

驚きました。

接続詞でコントロールすることなしに論旨をつなげているのです。

それでも、全く分かりにくいことはありません。

常識的な文章作法からすると信じられないことです。

 

次に一つの段落(一文ごとに段落になっています)の長さが2~3行しかありません。

それでも、読んでいて読みにくさを感じないのです。

これは才能としかいいようがないでしょう。

 

もし、これが「口述筆記」のせいであるとすれば

なおさら、すごいことです。

(英文では作家が口述筆記をするのは当たり前のことですが

日本語でやると全く訳の分からない文になります。

日本語には口述筆記のノウハウがないのです。

実際、座談会の記録文はほとんど編集者が書き直しているそうです。

そうじゃないと読むに堪えないと言っています)

 

短い文を書く方が楽なように思えますが

分かりやすく説明したい

(特に論文であれば)正確に書こうとすれば

文中の修飾、被修飾にこだわることが必要になり

文は長く複雑になります。

一つの長い文で表すのではなく

短い文をつないで書く方が文の構成力が要求されますから

技術的にはむずかしいのです。

才能か合理的な訓練が必要です。

 

司馬遼太郎さんもセンテンスが短いことで有名でした。

それでも、小説に仕立てることができたのは文章の作法に明晰さがあったからです。

文を長くすると説明口調になります。

センテンスを短くすることで文に迫力が出るのです。

結構、文中での解説が好きな人でしたが

第三者がナレーションするスタイルでやっていたので

短めのセンテンスで通せたのだと思います。

 

わたしが求めるのは文学作品ではなく実用の文です。

ですから

文章を書くときに才能を求めるのではなく

メソッドにしたがった構成の訓練をすることで達意(分かりやすい、真意が伝わりやすい)の文が書けるようになることが必要です。

わたしが30年かかって研究してきたことです。

幸いなことに方法の目途が立ちシステムとしてほぼ完成させることができました。

これが学ぶ人のために役立てることができればそれ以上に楽しいことはありません。